田人の風といえば冬の風です。西にある四時川と入旅人川の谷間からまとまった吹き下ろしが襲ってきます。田人の冬は心も凍えるほど寒く厳しいのです。
逆に涼風は東から、そよそよとやってきます。高原に吹くさわやかな風が夏の暑さを和らげてくれます。
東京生まれのエイサクは、そんな田人で彫刻をつくっています。晴れの日も雨の日も風の日も、自然が織りなす微妙な気圧の変化を感じながら、一心不乱にノミを振るっているのです。仏具山を眺めながら、汗を拭き、自分の精神と木の精霊との対話を続けること。それがエイサクのかけがえのない日々でした。
そんなある日、エイサクの頬を優しい風が通り過ぎました。精霊の羽根が一瞬ふれたような、そんな感覚でした。その瞬間、この世のさまざまなしがらみから解き放たれて、自分が生まれ変わったような気がしまた。勝海舟の言葉に「春風面
(おもて)を払う」というのがあるそうだけれど、そんな心境にさせてくれるような清々しい風だったのです。
何かに行き詰まったとき、不思議と精霊の羽根がどこからともなくやってきて、エイサクの気持ちを楽にしてくれます。そんなとき、エイサクは、生まれたばかりの水を飲みほしたような気分を味わうことができます。
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