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この日、日比野さんは午前11時半に、いわきに着いた。前の日は台風で東京に足止め。展示の指示は電話で行い、会場スタッフだけがあわただしく動いた。そして夜、衝撃的なニュースが飛び込んでくる。「ニューヨークで同時テロ」。ハイジャックされた旅客機がマンハッタンにそびえるツインタワーに激突する映像が何回も流される。日比野さんは、それを自宅で見た。友だちがニューヨークへ発ったばかりだ。心配になって電話をかけてみたが通じなかった。
「ライブペインティングのテーマはテロ」。思考回路がそちらへ向かって動き出した。上野で新聞を5、6紙買い込み、スーパーひたちで読んだ。市立美術館に着いてからも、テレビに見入った。
午後1時40分、つなぎに着替えている最中に、「裏日比野の写真撮る?」とちゃかす。「日比野的」と言うべきか、トランクス型の原色ストライプパンツが、堂々としていて、いやに眩しい。
「今日のテーマはテロ」。自分に気合いを入れるようにそう言うと、会場へと向かった。
市立美術館玄関前の壁面に、縦3メートル、横12メートルの巨大な真っ白いキャンバスが用意されている。キャンバスといっても素材は布(キャラコ)。日比野さんはヘンリームーアの像付近で、新聞を読みながらたたずんでいる。
おもむろに絵筆をとると、右上に炎上する飛行機を黒のアクリル絵具で描き始めた。さらに間髪入れず、左下に赤いビルを描く。赤系のさまざまな色を混ぜ、窓を一つ一つ細かく描いていく。高いところまで手を伸ばし、筆を長く持って不安定な姿勢になりながらも、描き続ける。次は青いビル。ツインタワーだ。こちらはさらに高い。
そして思索に耽ったあと、朱系の色鉛筆を取り出し、真ん中に円を描き始めた。ぐるぐるぐるぐると、何回も日比野さんの腕が回る。太陽だろうか。さらに、左上の端から固形ペンキでアルファベットを描き始める。言葉を絞り出すように、じっと考えては描く。赤、青、緑…。文字が右端まで来たところで、「はい終わりです」と、スカッと言った。
「エーッ」。ギャラリーから意外そうな声が上がった。「もう終わりなの」というニュアンスなのだろう。確かに画面は余白が目立つ。「派手派手塗りたくりライブペインティング」をイメージしていたはギャラリーは、肩すかしを食わされた気分になった。
日比野さんがマイクを持った。「ビルの赤と青、アクリル絵具のベチャッとした質感がアメリカのイメージです。さまざまな色を混ぜ、小さな窓をいくつも描くことで、いろんなドラマや表情を込めたかった。そして描いていて感じたのですが、高いところを描こうとすると不安定なんです。どんどん背伸びして高いものをめざして、その不安定さというかバランスの悪さを気合いにして、アメリカはここまで来た。さらにブッシュになって、強いアメリカをやたら強調するようになった。今回の事件は、『強いアメリカはいつまでも続かない』という暗示ではないのか、と思ったりします。だから、青いビルを描いたときは、わざと不安定を強調するためにふらつきながら描きました」
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陽が沈む
陽が沈む
陽は必ず沈む
あなたは何処に帰るの
初めて人から隠れて泣いたところに帰ろう
陽が沈む前に帰ろう
暗くなる前に
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日比野さんがアルファベットで書いたメッセージ。記者の取材を受け、「何処に帰るのですか」とタイトルをつけた。そして、さらにライブペインティングについて丁寧に語る。「飛行機とツインタワーは無作為な人たちにとっての共通のビジュアルでアイキャッチになるもの。あとは自分をどう表現するか。それが、真ん中の太陽というか日の丸と、アルファベットです。デザインの仕事というのは余白をどう使うか。イメージが広がってい くのです」
日比野さんにとって欠かせないと言う「ハーバーキャステル社(ドイツ)117番)」。その思い入れの強い朱色で描いた真ん中の太陽。それは「帰る」というキーワードの象徴なのだろう。それは、夕陽に見える。
「帰るということは罪悪じゃないんだよ。それは足元をしっかり見る、プラスの行為。帰ることを前向きに考えることが必要だと思う。前ではなく後ろをきちんと感じとることが自分の姿をきちんと見つめることになる。行きっぱなしは良くない。必ず帰り道があるんだから」
日比野さんはそう続けた。
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