|
「敬老の日」。市立美術館で「日比野克彦展」が始まった。この日、日比野さんがいわきを離れるとあって、5日間にわたって日比野さんに張り付いていた『日々の新聞』スタッフは、特にお願いして日比野さんと昼食をとることになった。美術館を出ようとしたら、美大生らしい女子学生2人組が日比野さんを見て歓声を上げ、握手を求めきた。日比野さんは苦みばしった顔で気軽に握手し、「まつうら」へ向かった。
日比野さんは『日々の新聞』の題字やイラストを描きながら、「自分らしさ」について語った。
「周りが思う日比野らしさと自分が思う日比野らしさって違う。そういうことを考えると、自分はまだどこかで嘘をついているのかな、と思ったりする。若いころは、自分をどう表現していいかわからなかった。そういう時期の自分の方がかわいらしいし、いとおしい。表現する、ってことはぽっかりと空いた穴にもっこりとした山をつくる、ということのような気がする。平らなところに山をつくってもしょうがないもんね」
ギャラリートークが始まる午後2時前、美術館内に日比野さんの声が響き渡った。「日比野です。できればカタログを持ちながら話を聞いてください」
人数がかなり多い。150人はいる。「一度には無理ですね」。学芸員の植田さんが言っている。しかし、日比野さんはどうしても作品の前で話をしたい、という。苦肉の策として2組に分かれてのギャラリートークとなった。
「誕生日が1〜6月、7〜12月の二手に分かれてください。友達、恋人、親子、離れてくださいね」。日比野さんが笑わせる。2時間。精力的なギャラリートークが始まった。
「カタログにはどんどん書き込みを入れてください。日比野が言ったこと、自分が感じたこと…。臨場感を入れ、自分だけのカタログをつくるんです」
日比野さんはそう言うと、制作したころの思い出や裏話を丁寧に、しかも正直に語りながら、自分の作品と向き合っていった。
学生時代、ヨーロッパに行って古い壁を見たとき、その何ともいえない質感というか色合いが気に入った。以来、時間がたって崩れ、色あせた風合いのようなものが自分の作品に取り入れられ、日比野オリジナルに変化していく。モチーフも、当初は写
真を参考にしていたが、徐々に内面から導き出されるようになり、時代の風を受けながら、「日比野克彦」の作品が生まれていった。
悩んだ時期もあった。ニューヨーク。自分のために自分の時間で描いていた。「これからどうなるんだろう」。迷いと不安が交互に襲い、出口のない迷路をぐるぐる回っていた。そのころ描かれたのが「カルラ身」など、一連の作品だった。
日比野さんは等身大の自分をさらけ出す。一人でも多くの人に自分の作品が生まれた課程を知ってもらいたい、と思っている。一人でも多くの人とふれあい、自分を伝え、相手からも影響を受ける。その受発信こそが、今を生きる作家がすべきことだと思っている。
初日の入場者、300人突破、カタログ売り上げ、100部突破。日比野さんは「無理せず自分らしく生きよう」ーという無言のメッセージを残して、いわきを離れた。
|