425号 2020年11月15日 |
被害をもたらしたことに
「すまなかった」の一言もないのです。
東京電力の福島第一原発の事故をめぐる「いわき市民訴訟」の口頭弁論が10月21日、福島地裁いわき支部で行われ、結審した。1512人のいわき市民が国と東電に約27億3300万円の損害賠償を求めた集団訴訟で、全国に30ほどある集団訴訟のなかで避難指示が出なかったまちの住民だけの訴訟はほかにない。
原告団は事故から2年後の2013年3月に提訴し、避難指示区域外であっても放射能汚染によって、いわき市民はさまざまな被害が続いている、と訴えている。7年7カ月の間に公判は42回開かれ、55人の原告が亡くなった。
この日の口頭弁論に原告側からは7人が意見陳述し、その最後に原告団長の伊東達也さん(78)が立った。伊東さんは50年近く、原発問題にかかわっている。福島第一原発1号機が1971年(昭和46)に運転を始めると事故が相次ぎ、勉強会に参加したのがきっかけだった。
意見陳述で伊東さんは次のように語った。
2011年2月11日、原発事故発生後、いわき市は一大パニックに襲われ、市民生活はこの日を境に一変してしまった。市民33万人のうち18万人が一時避難し、間もなく、2万人の(双葉郡の)避難者と1万人の事故収束労働者が住むようになり、住民間の複雑な問題が次々起こった。
その分断を乗り越え、手をとり合って国と東電に賠償を求めた。しかし両者とも「法的責任はない」と言い続け、やむなく裁判を考えた。裁判でも両者は「法的責任はない」と言い続けてきた。
以前から国には過酷事故への備えを求めてきたが「そのような事故は起こり得ない」という安全神話を打ち出し、さらに世界有数の地震国で「次は日本で大事故になりかねない」と警鐘を乱打しても、方針を変えようとしなかった。
東電には、福島県内の住民団体がさまざまな問題を指摘してきた。津波問題で重要な指摘は2005年だった。1960年に起きたチリ津波と同じ高さの津波が福島原発を襲ったら、機器冷却器系が作動しなくなる危険がある、と抜本的な対策を求めた。
その後も繰り返し求め続けてきたが、防潮堤の新増設も重要機器の高台移転も、第一原発の電源設備の水密化(内部に海水などが流入しないようにする)もしないまま、3.11を迎えてしまった。
私は福島の事故の前にスリーマイル島やチェルノブイリ原発事故の現場に行って、被害者の話を聞いているので、過酷事故を起こせばどうなるのかを知っているつもりだった。しかし直接体験してみると、こんなにもつらく苦しく、ひどいものかということを、この9年間、実感し続けてきた。
甲状腺検査でA2(5mm以下の結節や20mm以上ののう胞がある)以上の判定を受けた子どもを持つ原告に、だれにも言えない苦しみなどを打ち明けられた。それ以来、いわき市民は過去に例のない生活を強いられているのを感じてきた。
最近の日本原子力学会の報告書では、第一原発の敷地の再利用に最低でも100年、建屋地下や汚染土を残さざるを得ない場合は百数十年から数百年かかるだろうとしている。
私たちは原告団だけが救われればいいとは思っていない。裁判で国と東電を断罪してほしい。それをもって、声を上げたくても上げられなかったすべての被害を受けた人々の救済を行政府と立法府に求めていく。
傍聴席でそれぞれの意見陳述を聞いていて、原発事故後の日々が去来した。判決は来年3月26日に言い渡される。
特集 となり町へ秋を探して |
コロナ禍で遠出自粛の日々が続いている。でも、秋晴れの日は外に出たくてうずうずする。そんなときにお薦めなのが、車での隣町ツアー。コロナ対策を万全にして出かければ、気分も少しは晴れる。好天に恵まれた5日、古殿町(石川郡)、鮫川村(東白川郡)を訪ね、秋を探しながら時の移ろいを感じた。
古殿八幡神社
建立は平安中期で950年の歴史を持つ。名物は200年のイチョウの木と小林和平作の狛犬。実に独創的。流鏑馬は台風19号とコロナで、2年連続の中止に。
さめがわ豆新聞 高木 千春さん
今年1月に創刊した地域紙。高木さんは地域紙、雑誌編集を経験して、地元鮫川村で新聞を立ち上げた。1000世帯の鮫川村で300部発行している。高木さんの思いを取材した。
強滝のこと
桃飯房 sone
映画「フラガール」のロケ地
記事 |
このいちねん 台風19号被害(3)
鎌田 真理子さんのはなし
医療創生大心理学部教授の鎌田さんは、市の台風19号検証委員会の委員を務めた。情報の伝え方や避難方法、行政と市民の役割など、鎌田さんの思いを聞いた。
矢吹 貢一さんのはなし
県会議員の矢吹貢一さんはこの20年、夏井川水系河川改良促進期成同盟会会長として夏井川とかかわっている。これまでの夏井川の整備状況、昨年の台風19号での被害やこれからの夏井川について考えを聞いた。
古文書を研究している吉田忠正さんと吉田充さんが、永崎と中之作の境の小高い山にあるとされる「馬落前88体尊」を見つけた。その場所には、79体と石碑2体があった。
私の本棚
『われわれはいま、どんな時代に生きているのか
岡村昭彦の言葉と写真』
戸田昌子 監修
赤々舎 2750円(税込)
連載 |
戸惑いと嘘(59) 内山田 康
時間(2)
阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(22)ユズリハ
ひとりぼっちのあいつ(3) 新妻 和之
路傍の石たる祖母
もりもりくん カタツムリの観察日記⑩ 松本 令子
コーヒーカップ・ダンス
DAY AFTER TOMORROW(213) 日比野 克彦
ヒビノを保存する
コラム |
月刊Chronicle 安竜 昌弘
時代のうた
いまも体の中に棲みついているリズミカルな筒美サウンド