427号 2020年12月15日 |

「築城後百七十年過ぎたころのもので作者不詳(有賀高明氏所蔵の絵図を模写)」と説明書きがある
埋もれていた歴史や文化に光をあてる
家を整理していたら1957年(昭和32)に発行された『写真 磐城百年史』が出てきた。大判のグラフ誌で、編者は斎藤伊知郎さん。表紙には、磐城平城の黒金(くろがね)門にあったとされるシャチホコが使われている。60年以上前なのに700円の定価がついているから、当時としてはかなり高額だったと思われる。戊辰戦争以後の、明治、大正、昭和におけるいわき地方の歴史、文化、教育などが写真中心にまとめられている。
そのなかに有賀家所蔵の磐城平城下絵図を模写したものが載っている。寛政元年(1789)に、ときの藩主・安藤信成が描かせたものとされ、現在のJRいわき駅周辺と重ね合わせてみると、非常に興味深い。
戦国時代まで支配していた岩城氏が関ヶ原の戦いで敗れ、徳川譜代の鳥居家が磐城平に入って新しい城を築いて、現代につながるまちの骨格をつくった。その後、藩主は内藤、井上、安藤と変わって明治を迎えた。城の縄張りに詳しい勿来関文学歴史館長の中山雅弘さんによると、時代時代によってまちや城内の様子が微妙に違っているそうで、それを調べて比較すれば、城下町の成り立ちをより深く知ることができるのだという。
かつて城内だった場所は明治になって切り売りされ、いまは住宅街になっているが、かろうじて本丸跡だけは開発されずに残った。そこを市が買い取って公園にしようとしたら、貴重な遺構が見つかった。発掘の結果、本丸御殿跡は思いのほか大きいことがわかり、市がこの場所をどうするのか、その方向性が注目されている。
『写真 磐城百年史』は斎藤さんが1年半かけてまとめた。旧家を丹念に回って蔵に眠っている資料を探してもらい、明治維新からの百年をいわきの視点でまとめた。「決して懐古趣味ではない。現在に生きるものと先輩が研究したものの集積で、一貫して温故知新の精神を貫いたつもり」という一文に、斎藤さんのこの本に懸けた情熱が見える。
「文教都市」の項目に掲載されている藤田女学校、平陽女学校、磐城佑賢学舎。聞き覚えはあるが、その存在や記憶は遠い彼方に消え去ろうとしている。「明治の文化」の平座の威容、「風俗」での花街の女性たち、磐女の制服の変遷…。写真1枚1枚から失われた風景が立ち上がり、知らなかったいわきの百年が、身近に感じられる。それは目を見張る思いだった。
磐城平城の本丸御殿発掘を1つのきっかけに、埋もれていた歴史が少し注目されるようになった。この機会に、これまで見向きもされなかった、いわきの歴史や文化を掘り起こし、正確に伝えていくべきではないのか。先人の努力や思いをきちんと引き継いで、未来につないでいかなければ、根っこのないまちになってしまう。
特集 今福龍太さんのはなし 土と水と風と光と暮らすこと |
文化人類学者で批評家の今福龍太さんが11月末、いわき市立草野心平記念文学館で「『宮沢賢治 デクノボーの叡智』~〈土〉と〈水〉と〈風〉と〈光〉と暮らすこと」と題して話をした。土、水、風、光は万物の根源の四元素。今福さんの話の内容を紹介する。
万物の根源の四元素
天球の音楽
童話「インドラの網」
わけがわからない
コロナの時代の宮沢賢治

記事 |
古地図を手にいにしえの平を歩く
古い磐城平城下の地図を元に、城の縄張りに詳しい中山雅弘さん(勿来関歴史文学館長)から、城を中心としたまちづくりの変遷を聞いた。
レクイエム
画家 鈴木 邦夫さん
2020年11月26日没 享年88
いわき美術界の縁の下の力持ちともいえる邦夫さん。近くに住んでいた若松光一郎さんに誘われて新制作展に作品を出し始めた。こだわりとセンスの人、邦夫さんの人生を振り返った。

一期一会
歌手 エナ ひろしさん
コンビニエンスストアの経営者でありながら74歳でクラウンからオリジナル曲でのメジャーデビューを果たした、エナひろしさん(本名・吉田浩)。その原点は、生まれ育った小さな港町、折戸と中之作。自作詩の「大漁さんま船」にその思いが込められている。震災・原発事故当時は、広野に店を出していて、その体験も語ってもらった。

ラストレター
監督の岩井俊二さんは宮城県仙台出身。仙台一高から横浜国立大に進学し、映像の道に進んだ。仙台と白石が舞台のこの映画には、岩井さんの宮城愛がぎっしり詰まっている。

ギャラリーみてある記
松井秀簡展
~1月19日 いわき市勿来関文学歴史館

連載 |
戸惑いと嘘(61) 内山田 康
時間(4)
阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(24)コウヤマキ
ひとりぼっちのあいつ(5) 新妻 和之
英語、手つかずの荒野
もりもりくん カタツムリの観察日記⑫ 松本 令子
やわらかいうずまき
DAY AFTER TOMORROW(214) 日比野 克彦
接続は呼吸
コラム |
月刊Chronicle 安竜 昌弘
ジョンの命日
僕にとって音楽はコミュニケーション ただ人々と対話したいんだ