第430号

430号
2021年1月31日

映画館の記憶

 初めての映画は日劇で見た、ウォルト・ディズニーの「白雪姫」だった。東京で暮らしていた幼稚園児のころで、映画が始まる前に白雪姫と7人のこびとが客席に現れ、楽しく歌ってダンスした。客席のいす、白雪姫とこびとたちのステップ、わくわくして見つめたスクリーンを鮮やかに覚えている。
 小学5年生の時に、中学生のいとこといわきの世界館ビルの聚楽館で見た「ロミオとジュリエット」と「星の王子さま」の2本立ても忘れられない。そのころ内郷に住んでいて、いとこと2人で平に出かけ、映画を見たあとに食事もした。少し背伸びした気分で、うれしかった。
 映画や映画館にまつわる記憶はまだまだある。たぶん、映画好きでなくても、それぞれにいろんな思い出があって、記憶の底に沈んでいたものが、ある時不意に浮かんでくるだろう。それがまた映画や映画館の魅力でもある。

 いま、企画展「映画館の記憶 聚楽館をめぐって」(3月28日まで)が、いわき市立草野心平記念文学館で開かれている。一番多い時で、いわきには47の映画館があった。そのなかで明治、大正、昭和、平成と100年近く続いた洋画専門の聚楽館を中心に、いわきの映画文化を振り返っている。
 展示室の入口に立つと、正面のスクリーンに「ローマの休日」が映し出されている。いまの平一町目にあった聚楽館は昭和29年(1954)夏、木造の芝居小屋からモダンな2階建ての映画館に新装開館し、こけら落としにオードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」が上映された。映画評論家の淀川長治さんがお祝いに駆けつけ、講演した。
 大正6年(1917)に開館した平館はいわきで初めての活動写真専門館、四倉の海盛座、泉の新映座、小名浜と金星座と銀星座、湯本の三函座、植田の菊田館、江名の江楽館、小川の福島座など、かつてはそれぞれの地区に映画館がいくつかあり、身近な学校の校庭などでも上映された。

 「ローマの休日」は学生時代、仙台の満席の名画座で通路の階段に座って見た。アメリカで製作されてから30年以上経っていたがまったく色あせず、いつかスペイン広場でジェラートを食べるなど、ロケ地を巡りたいと思った。映画館はいろんな時間が交錯し、それが記憶へとつながる。


 特集 まちに映画館があったころ

 いわき地方には、一番多いときで47の映画館があった。いわき市立草野心平記念館で開かれている企画展「映画館の記憶―聚楽館をめぐって」(3月28日まで)をきっかけに、平市街地の映画館の変遷を紹介する。

平の映画館について
地図で映画館めぐり
東宝民衆劇場のこと

聚楽館のこと
 いわきの映画館の老舗ともいえる「聚楽館」。戦後は洋画専門館として、市民に夢を与え続けた。聚楽館の一人娘である飯田圭子さんと、父の仕事の関係で聚楽館で生まれ育った土屋文夫に思い出などを尋ねた。

聚楽館のベンハーの看板
(昭和37年10月)

映画館「世界館」のこと
 いわき市内には最も多い時で47の映画館があった。そのなかで、いまも名前が残っているのは、あくまでビルの名前だが白銀町の「世界館」だけ。平駅(いまのいわき駅)前の住吉屋旅館の隣にあった「有聲座」を、昭和6年(1931)に世界館を改称して大映専門の映画常設館となった。世界館ビルを建て、苦労しながら経営し、息子にバトンタッチした鈴木喬二さん(91)にその歴史などを聞いた。

 記事

私の見方
 東京高裁の不当判決
 原発事故損害賠償群馬訴訟原告 丹治 杉江さん


ヨーカドー平店が49年の歴史に幕

 ヨーカドー平店が2月いっぱいで撤退する。その後は、1年かけて建物を解体し、その後どうするか計画を練るという。土地と建物をセブン&アイホールディングスと共有している真砂不動産を取材し、今後どうなるのかを聞いた。


コロナウイルスのこと(13)


ギャラリー界隈が閉廊

 美術関係者や愛好家に愛されたギャラリー界隈が1月で店を閉めた。童子町、堂根町時代を通して31年。代表の佐藤繁忠さんと夫人の康子さんから、その思いを聞いた。

 連載

阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(27) ヤドリギ


ひとりぼっちのあいつ(8) 新妻 和之
求めよ、さらば…


もりもりくん カタツムリの観察日記⑮ 松本 令子
蜜 月


ぼくの天文台 粥塚伯正余話(6)
松田松雄への旅

 コラム

ストリートオルガン(159) 大越章子
安野光雅さんのこと
空の上で積もる話をしていることだろう