第434号

434号
2021年3月31日

牛の話なんだけれど人の話なんだ

『希望の牧場』(岩崎書店)という絵本がある。浪江町と南相馬小高区にまたがる約30 haの牧場の話で、森絵都さんが文章を書き、絵は吉田尚令さんが描いた。もとは吉沢牧場と言い、20年ほど前からエム牧場浪江農場となり、東京電力の福島第一原発事故後に希望の牧場となった。
 牧場は原発から直線で14㎞。事故当時、浪江農場長だった吉沢正巳さん(67)は、二本松のエム牧場社長の村田淳さんから330頭の牛を預かっていた。放射能を浴びた牛たちは肉牛としての価値をなくしてしまったが、吉沢さんは見捨てず、殺処分にも同意せず、非営利型一般社団法人「希望の牧場・ふくしま」を立ち上げ、牛たちに餌を与え、世話している。
 絵本では、吉沢さんであろう牛飼いのつぶやきを綴りながら、希望の牧場への思い、考えを伝えている。「希望を感じるって人がいる。けど、弱った牛が死ぬたびに、ここには絶望しかないような気もする。希望なんてあるのかな。意味はあるのかな。な、オレたちに意味はあるのかなあ」と。

 3月中旬、浪江町立野春卯野の「希望の牧場」を訪ねた。出迎えてくれたのは吉沢さんとカウ・ゴジラ。カウ・ゴジラとは「望郷の牛」を乗せたトレーラーをつけた軽ワゴン車で、望郷の牛は吠えているように見える。吉沢さんはカウ・ゴジラに乗って全国あちこちに出かけ、その時々の思いをまちなかで語っている。いわばカウ・ゴジラは吉沢さんの戦闘車で、相棒でもある。
 一番好きな場所は渋谷のハチ公前のスクランブル交差点。これまでに150回ほど語ってきた。募金箱を置いて、軽ワゴンの上に立ち「3.11は終わっていない」と話す。信号が変わるたびに3000人が行き交うという交差点に、性能のいいスピーカーが、時には激しい吉沢さんの声を行き渡らせる。ほとんどは無関心に通り過ぎるが、ある瞬間、鋭く冷たい視線を感じることがあるという。募金箱に10000円を入れていく人もいる。
 この10年の間に、330頭だった牛は、よその農家からの救助で百頭増え、さらに子牛が70頭生まれ、合わせて500頭になった。でも、いまいるのは230頭。半分が死んでしまった。「牛の数はベクトル。時間の経過とともに数は減る。寿命まで飼って、その時、日本が原発を乗り越え、もう終わりという世界にたどり着かないといけない」。吉沢さんは言う。

 2時間以上のインタビューの終わりに、吉沢さんは「牛の話なんだけれど人の話なんだ」と、ぽつりつぶやいた。


 特集 あれから10年 双葉郡をあるく

「あれから10年」、今回は「双葉郡を歩く」。原発事故に翻弄された希望の牧場と双葉高校を取材した。

希望の牧場・ふくしま代表 吉沢 正巳さんのはなし

 浪江町立野春卯野の「希望の牧場」を訪ね、代表の吉沢正巳さんにこの10年のはなしを聞いた。原発事故後、国が牛の殺処分を指示するなかで、吉沢さんはレスキューでよその農家から引き受けた100頭、自然繁殖で生まれた子牛を含め、合わせて500頭の牛の世話をした。現在は230頭、半分は死んでしまっている。被曝した牛たちを育てることに、どんな意味があるのか。吉沢さんの思いや考えを聞いた。

元双葉高校野球部監督 田中 巨人さんのはなし

 2011年3月11午後2時46分、双葉高校野球部はグラウンドで打撃練習をしていた。そのときの監督が田中さん。原発事故による避難でバラバラになってしまった部員と週末に集まり、夏に向けた練習をした。甲子園に3回出場している双葉の最後の夏とその後について話を聞いた。

 記事

詩人 吉増 剛造 講演会
北緯37度07分44秒 東経140度49分59秒から

 コロナ禍で1年遅れとなった講演会。吉増さんは鎌倉時代の禅僧・道元の言葉「而今」を例に出し、たった今、現在を大事にして生きることの必要性を話した。聞き手は佐藤洋子さん。


日々の本棚

『夷俘の叛逆』
若松丈太郎著
(コールサック社)1500円+税

 連載

阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(31)シキミ


ひとりぼっちのあいつ(12) 新妻 和之
授業改善、見果てぬ夢


ぼくの天文台 粥塚伯正余話(7)
吉増剛造さんへの思い

 コラム

月刊Chronicle 安竜 昌弘
『秋吉久美子調書』
伝説が事実に しなやかに その人生を語る