440号 2021年6月30日 |

車で走っていると、選挙を前にしてのポスターや幟が目につく。いわき市長選(8月29日告示、9月5日投開票)の日程が決まり、衆議院選挙も秋に行われることが確実なので、市長選と衆院選のものが混在している。
しかも、公職選挙法では任期満了の半年前から個人ポスターの掲示を禁止していて、どこもかしこも候補者にもう1人を加えた「2連ポスター(幟)」ばかり。まるで戦国時代の陣取り合戦のようでうんざりしてしまう。
人と会ったあと必ず、「秋の市長選でだれに投票しますか?」と尋ねることにしている。すると「現職のことはある程度わかるけれども、ほかの人のことがよくわからない。でも現職はもういいかな」という声が多い。まだまだ関心が薄く、「だれがなっても変わらない」という思いが強いようだ。確かに、帯に短し襷に長しの感は否めない。
前回(2017年)の投票率は49.13%。初めて50%を切った。半分以上の有権者が投票しなかったわけで、一番の要因は「この人に自分の1票を託したい」と思えるような候補者がいない、ということだと思う。県議出身者による保守分裂選挙が4回続いたことで有権者が冷めてしまい、「自分とは関係のないこと」と投票意欲をなくしてしまった。今回、新顔が2人出るとは言っても、「権力の綱引き」という構図は変わらず、いまのところ旧態依然の選挙を打破する爽やかな風は、感じられない。
例えば、トリチウムなどを含む汚染水の海洋放出について、なぜ「風評」に逃げ、はっきり「反対」と言えないのか。向くべき方向は漁業者や市民なのか、国や県なのか。その姿勢や行動が有権者の希望を削ぎ、諦めムードを蔓延させている。
「常磐もの」のブランド化を進め、魚食普及に舵を切っても汚染水を流されてしまったら、いわきの漁業や水産加工業はどうなるのだろう。いくらお金を使ってPRしても消費者はごまかせないし、その不安が払拭されるとも思えない。漁業者や市民は原発事故のあと、それをいやというほど思い知らされた。
にもかかわらず、立候補予定者たちはこの海洋放出問題に及び腰で、自らが先頭に立ち、国と対峙するという覚悟が見えない。その場当たり的な立ち位置が、市民のため息と沈黙を生んでいる。リーダーにリスクを背負っても行動するという姿勢が見えなければ、市民の政治に対する諦めはますます、大きくなっていく。
汚染水の海洋放出問題は、いわき市長としての踏み絵ではないか。この問題に敢然と立ち向かい、逃げずに選挙の争点とする人材が、いわきを変える。いまからでも遅くはない。
特集 市議会全員協議会 海洋放出について |
東京電力の福島第一原発の敷地内のタンクに保管されているトリチウムなどを含む汚染水(以下、汚染水)を、政府が4月に海洋放出する方針を決定したことについて、いわき市議会全員協議会が6月23日に市議会議場で開かれた。市議たちの質問と国、東電の回答を紹介する。
鈴木 さおり議員(創世会) ほんとうに人体に安全か
西山 一美議員(志帥会) 処理した核物質の処分は
小野 潤三議員(志帥会) なぜ福島の海なのか
菅野 宗長議員(共産党いわき市議団) 一方的な押しつけでは
石井 敏郎議員(自民党改革の会) 汚染水を流さないで
塩沢 昭広議員(公明党) 処理水への理解が必要

記事 |
県原子力損害対策協議会「代表者会」のこと 村岡 寛さん
汚染水を海洋放出する政府の方針の決定後、初めての福島県原子力損害対策協議会「代表社会」が6月15日、福島市で開かれた。県老人保健施設協会監事として代表者会に出席した村岡福祉医療総合研究所所長の村岡寛さんに、会義の様子や話し合われた内容などを聞いた。

海洋放出をどう思いますか④
戸澤 章さん

葉田野 眞佳さんの日々
いわき市常磐に住む葉田野眞佳さんは、動植物に囲まれ、ガラス玉を作る。いわき市平出身だが、沖縄に10年、金沢で4年生活し、いまもその土地の文化や人々との交流を大事にしている。そして那覇市の協働大使でもある。コロナ禍での日々をどう暮らすのか。眞佳さんを取材した。

往復葉書 いわき市民↔いわき市
「いわき市ではワクチン接種の体制をだれが、どう考えて決めたのですか」。そんな質問が読者からあった。新型コロナウイルスワクチン接種プロジェクトチームのリーダーの馬目秀幸さんに、いわき市のワクチン接種の体制づくりの考え方や経緯、現状を聞いた。
ギャラリー見てある記
「野口雨情の童謡普及—童謡 青い目の人形と渋沢栄一—」展
北茨城市野口雨情記念館 ~7月25日

連載 |
戸惑いと嘘(64) 内山田 康
太平洋(2)
阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(37)ヒルガオ
ひとりぼっちのあいつ(18) 新妻 和之
それがどうしたの?
時空さんぽ 再び 〜磐城平城を訪ねて(6)
其の五 掻槌小路
ぼくの天文台 粥塚伯正余話(9)
父への思い
コラム |
月刊Chronicle 安竜 昌弘
五輪考
開催地を 聖地アテネに 固定する