462号 2022年5月31日 |
サロンのようなギャラリーにしたい
小学6年生の時、会田光子さん(76)は祖母のマサさんの絵を描いた。いわき市三和町渡戸の生まれ育ち。いま、三和町には小・中学校が1校だけだか、当時は小学校が9校、中学校が5校もあって、会田さんは渡戸小学校に通っていた。
その年に祖母は83歳で亡くなり、絵は新盆に飾るためのものだった。1枚5円の画用紙を近所の商店で4枚買ってご飯粒で付け合わせ、たった1枚あった祖母の写真を見ながら、数少ない絵の具で工夫して描いた。それが会田さんの絵の原点になった。
高校では美術部で主に石膏デッサンに励み、その後は地元の役場に就職し、結婚、子育てと日々に追われた。再び、描き始めたのは40歳近くなってからで、いわき市民美術展といわき美術協会展に毎年、出品することを自分に課した。
2018年の秋、会田さんは初めての個展「猫と花と人物 会田光子絵画展」を好間町榊小屋のギャラリー木もれ日で開いた。猫の絵を中心に、庭に咲く花々など百数十点の作品を展示。多くの人々が観に来てくれ、自分の絵が売れるという感動的な体験もした。
その際、案内のはがきや配布方法、作品のキャプションの作り方など、個展を開催するにあたって必要なことを、ギャラリーのオーナーから教えられた。個展を終えた後、ひとつの夢がふくらんだ。
「長年、作品を描きためた人や、個展を開きたいのに勇気が持てない人たちに、気軽に利用できる敷居の低い場を提供したい」。思ったら行動あるのみ。会田さんはギャラリーをつくる決心をし、毎朝、散歩をしながらその方法を考えた。
自宅の斜め向かいに、ちょうどギャラリーむきの中古の家が売りに出ていて、思い切って購入。家族の手を借りて生い茂った庭木を剪定し、家の中もできる限り自分たちで整備した。そして昨年10月、「アートサロンいわき」(いわき市中央台飯野2丁目25の6)を開館した。
オープン記念の作品展は、散歩で知り合った人たちの油絵や日本画、陶芸、パッチワークなどを展示し、数百人が訪れた。しかしその後、コロナ禍でもあり、ほとんど訪れる人はいない。もともと貸しギャラリー・スペースとしての利用を考えていたが、借りる人もなく、自ら個展を企画する術もなく、月日だけが過ぎていった。
その状況に、鉄の彫刻家の安斉重夫さん(73)がギャラリーの再チャレンジをアドバイスした。安斉さん自身の彫刻展を開いて、アートサロンいわきの存在を知ってもらうとともに、模索が続いている会田さんはギャラリーオーナーとしての仕事を学ぶという。
再スタートの記念展となる「安斉重夫・鉄の彫刻展」は6月3日から30日まで(開館時間は午前10時から午後5時、休廊は水曜日、12日まで作家が在廊)。安斉さんは森や湖、空、海などの作品のほか、ウクライナをテーマにした作品も展示し、売り上げの一部はウクライナに寄付する。
「気軽に来てもらい、作品を見ながら人と人が出会えるギャラリーにしたい」と、会田さんは話している。問い合わせは会田さん(090—7935—2883)。
特集 ウクライナのこと 2 |
ロシアがウクライナに侵攻して3カ月が過ぎた。この間、日本には1000人を超える人々がウクライナから逃れてきている。ルヴァン・オリガさんは4月5日、政府専用機で来日し、二本松市で暮らし始めている。オリガさんと、二本松での受け入れ態勢づくりに奔走した、放射線衛生学者の木村真三さんに話を聞いた。
ルヴァン・オリガさん | 木村 真三さん |
記事 |
東日本国際大がウクライナ人留学生の受け入れを決める
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車の近未来を考える㊦ 中部 博さん
カーボンニュートラルが進むなかで、これからの車事情はどうなるのか。電気自動車の未来や蓄電池、全固体電池などについて話したことのまとめ。
連載 |
戸惑いと嘘(80) 内山田 康
神の死と主権の秘密(6)
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其の二十六 三町目
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汚染水とは何か?パンドーラーの箱(2) 天野 光
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コラム |
月刊Chronicle 安竜 昌弘
真三さんの熱さ
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