第473号

473号
2022年11月15日
いわき市小川町の夏井川に飛来した白鳥。数えてみたら30羽ほどいて、羽を休めていた。夏井川はいま、強靱化工事が急ピッチで進められている。白鳥たちはその場所を避けて悠々と泳いでいる。 2022年11月9日昼ごろ

 

              真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、
    村を破らず、人を殺さざるべし   田中正造

 

 栃木県野木町で「かえる農場」を経営している舘野廣幸さんのはなしを聞いた。舘野さんは30年にわたって農薬を使わない有機農業と取り組んでいて、そのきっかけが、足尾鉱毒事件に立ち向かった田中正造の存在だという。

 かつて栃木県下都賀郡谷中村だった場所はいま、渡良瀬遊水池になっている。300町歩もあるハート型の広大な湿地で、栃木、群馬、茨城、埼玉の各県にまたがっている。そこにはコウノトリやシギ、チドリなどが生息していて、ラムサール条約に登録されている。
 この谷中村は渡良瀬川が氾濫するたびに水害に遭った。しかも上流には足尾銅山があり、鉱毒が流れ出して村を汚染した。政府はのちに鉱毒を沈殿させるという理由で遊水池をつくる計画を立て、谷中村を地図から消滅させようとした。
 計画への反対運動が激しく、いったんは廃案になったが、栃木県会は秘密会を開いて村の買収を決議し、387戸・2500人を強制的に移住させることを決めた。谷中村は廃村となり、政府は土地収用法を使って残った村民の追い出しにかかった。最後まで抵抗したのは16戸。このなかには反対運動の先頭に立ち、自ら谷中村に移住していた正造もいた。
 1841年(天保12)、下野国小中村(現在の栃木県佐野市)の名主の家に生まれた正造は、栃木新聞(現在の下野新聞)の編集長から県会議員になった。1890年(明治23)に渡良瀬川で大洪水があり、上流にある足尾銅山から鉱毒が流れ出した。稲が立ち枯れる現象が流域各地で確認され、大騒ぎになった。そのとき正造は衆議院議員で、住民たちと一緒に足尾鉱毒問題に身を投じることになる。それは、議員を辞職し、死を賭して明治天皇に直訴するほどの強い覚悟だった。

 舘野さんは「鉱毒が流れて住民が村に住めなくなり、さらに遊水池にするために村民全員が追い出されました。福島第一原発事故の強制避難を思い出させるような出来事です。わたしも農業を始めたころは農薬を使っていたのですが、自分が撒く農薬が自然の生きものを殺している。これは鉱毒と同じだと思い、やめました。鉱毒から住民を守ろうとした田中正造を地元の人間として尊敬しているし、まず自分がやめることが農薬をなくす第一歩だと考えたのです」と話した。
 そして有機農業と向き合っているうちに「有機農業は生き方。競争原理と人間中心の考え方から、命が本来持っている共生の原理、分かち合いによって生かされる道を選択しようとするもの」と考えるようになったという。

 国はいま、福島第一原発敷地内に貯まっているトリチウムなどを含む汚染水を海に流そうとしている。足尾鉱山があった山はいまも荒れ果て、水俣病で苦しんでいる人がいるというのに懲りない。山と川と海はつながり、循環しながら人間の営みを育んでいる。正造がいまの時代に生きていたら「真の文明は海を荒らさず」という言葉を加えたに違いない。


 特集 生きる 虎屋 多幸兵衛 塩﨑 凱也さん

 いわき市内郷御台境六反田のたこ焼き店「虎屋 多幸兵衛」の店主・塩崎凱也さんは7回目の倒産後、どん底からはい上がった。その経験をもとに七転び八起きの体操をラジオや新聞、テレビなどで伝え、多くの人に生きる勇気と希望の種をまいてきた。その塩崎さんがことし6月、85年の人生を閉じた。その人生の原点は父が屋台で作っていたたこ焼きだった。香ばしいたこ焼きに秘められた塩崎さんの人生を振り返った。

 

 記事

舘野廣幸さんと「かえる農場」

 栃木県野木町で「舘野かえる農場」を経営している舘野廣幸さんは30年にわたって、有機農業の稲作と取り組んでいる。11月5日、いわき賢治の会設立8周年記念講演会で話した「宮澤賢治に学ぶ自然と農業」についてまとめた。

               


汚染水対策を考えるシンポジウム

 これ以上海を汚すな!市民会議が主催したシンポジウム「このまま海に流すの?!『ALPS処理水』」が開かれた。市民会議共同代表の織田千代さんのあいさつをはじめ、経産省、東電、住民意表などが参加したパネルディスディスカッションのなかから、いくつかの議論を紹介する。

 



 連載

DAY AFTER TOMORROW(237) 日比野 克彦
レインガと会う  見えない世界のことを想像する力が得られます



戸惑いと嘘(87) 内山田 康
遠くから島を振り返る①


阿武隈山地の万葉植物(69) 湯澤 陽一
クリ