第472号

472号
2022年10月31日
古河好間炭礦の専用鉄道の橋梁と今宿のズリ山  2022.10.21

 

              労働者の血と汗でつくられたズリ山

     

       画家で舞台美術家の朝倉摂(1922-2014)の日本画に「ズリ山」(1955年)がある。古河好間炭礦の「今宿のズリ山」を描いたと思われる作品で、10月中旬まで福島県立博物館で開催された「生誕100年 朝倉摂展」に展示された。
 石炭を採掘する際に出る岩石などの捨て石を、トロッコを使って長年積みあげてできたズリ山は、かつて炭鉱まちのシンボルだった。摂が描いたのは夕暮れ時のズリ山で、そばに立つ煙突などを省いて三角形の稜線を際立たせ、まだ青色が残る空もズリ山も、広がる大地も黒ずんでいる。
 労働者の血と汗でつくられたズリ山は自然の山とまったく違い、現場の感動をなんとか出してみたかった、と摂は言葉を残している。

 「ズリ山」を制作する2年前、摂は東京・代々木本町に自宅兼アトリエを建てた。近くに佐藤忠良や森芳雄が住んでいて、そのうち、新しいリアリズムについて考える研究会がつくられた。メンバーは忠良と森、摂のほかに中谷泰、西常雄、竹谷富士雄、鳥居敏文、吉井忠の8人だった。
 それぞれ社会派とみなされた作家たちで、同時代に生きる人々の生活をありのまま表現しようとした。摂と竹谷のアトリエに月に一度、交互に集まって議論を深め、また仲間の画家を頼って房総の漁村や常磐炭田、益子の窯場などへスケッチに出かけた。
 常磐炭田は、常磐炭礦からの依頼で内郷山神社境内に彫刻「母子想」を制作した忠良の縁だった。常磐炭礦に忠良を紹介した石城郡(現在のいわき市)の画家の若松光一郎や、石城郡出身の画家の鈴木新夫の協力を得て、何回か通ってズリ山や竪坑櫓といった炭鉱の風景や働く人々を描いた。摂の「ズリ山」と同じズリ山を、若松や中谷も同じ構図で描いている。

 摂が描いた今宿のズリ山は、常磐道のいわき中央インターチェンジの近くにある。好間川にかかる古河好間炭礦の専用鉄道の橋梁そばから正面に見えるなだらかな小山がそう。1969年(昭和44)、古河好間炭礦が閉山し、それに伴い、ズリ山は上部が削られ平坦にされた。年月とともに木が生い茂り、摂たちが描いた時の面影はまったくなく、忘れられつつある。


 特集 朝倉摂 1956年のスケッチ旅行 

 画家で舞台芸術家の朝倉摂は1950年代半ば、リアリズムについて考える研究会の仲間たちとつれだって何回もスケッチ旅行をした。1956年(昭和31)には佐藤忠良、鳥居敏文などと一緒に常磐炭田を訪ね、古河好間炭礦などを回った。各地を巡回している「生誕百年 朝倉摂展」の展示などから、摂の91年の人生を振り返るとともにスケッチ旅行への思いなどを紹介する。

 常に前を向き新しい挑戦をし続けた
     1956年初夏 リアリズムについて考える研究会

    ギャラリー見てある記
「生誕百年 朝倉摂展」
   働く人の絵から作風が変化


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鎮魂歌

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