501号 2024年1月15日 |
主役は市民
2024年の取材は、新春市長記者会見から始まった。まず内田広之市長が年頭所感を述べ、記者からの質問に答えるかたちなのだが、項目だけがふわふわ浮遊していて実体がない。例えば「いわきへの想いを共有し『人づくり日本一』の実現へ」というタイトルから何かをつかもうとしても、するりと抜けてしまう。そんな感じだった。
何をもって「人づくり日本一」と言うのか、「いわきへの想いを共有する」とはどういうことなのか…。それが漠然としていて、どんなに目を凝らしても、焦点がぼやけていて合わない。お品書きはあるのだがいつまでたっても肝心の料理が出てこないような感じで、市民は具体的なかたちになって現れないと実感がわかない。中身がスカスカのお題目の羅列はもう、うんざりなのである。
いわき市役所を取材するようになって四十五年以上になる。かつての新春記者会見は年頭所感だけでお茶を濁すだけのセレモニーではなかった。新年早々、中田武雄市長が「21世紀の森構想」をぶち上げ、記者たちが蜘蛛の子を散らすように取材に走ったことがある。その情報はどこにも漏れていなかったこともあって、会見にはピンと張りつめた緊張感があった。そのとき「市長は法律や条例に縛られて判断が下せない行政マンではなく、市民のためには不可能を可能にする政治家でなければ思い切ったことはできない」ということを学んだ。要は、いかに市民側に立ってリスクを冒せるかなのだと思う。
内田市長は昨年10月に発行された「広報いわき」の臨時号で、全4ページ中3ページにわたって、豪雨被災地を視察する様子などの写真を八枚も使い、「露出が過ぎるのでは」との批判が出た。確かに福祉や医療を扱っている「igoku」13号の表紙でも「いわきの医療 攻めと守り」として剣道着姿の市長の写真を使っていて、「やりすぎでは」と首をかしげる向きもある。
それもあって狩野光昭議員(創世会)が年末の12月議会で「(露出について)どう考えているのか」と尋ねると、「災害・有事であれば、トップダウンでやらなければいけない。広報紙が不適切とか、私が出過ぎだ、というのはご指摘として正しくない」としたうえで、「狩野議員は現場(被災地)に入ったと言っているが、あまり姿を見たことがなかった」などと答弁。「不適切な発言」として物議を醸した。
カメラや記者の向こう側には、つねに国民や市民の目がある。しかし為政者は権力を持つと、つい傲慢さが頭をもたげてそれを忘れてしまう。そして痛いところを突かれると感情に走って墓穴を掘るケースが多々ある。内田市長の一連の言動は、あまりに傲慢で軽率すぎた。いわき市の主役は市長ではなく市民なのだ。「不機嫌は怠惰と同じ」とはゲーテの言葉だが、「謙虚」という言葉を胸に刻みたい。
特集 ラジオ下神白 |
いわき市小名浜下神白に原発事故の避難者が暮らす県営の下神白団地と津波被災者が暮らす市営永崎団地がある。立場の違いによる「見えない壁」があると言われる2つの団地ではさまざまな支援活動が行われた。下神白団地を中心に行われたプロジェクト「ラジオ下神白」の活動がドキュメンタリー映画になり上映会が行われたことをきっかけに、ふたつの団地のいまを取材した。
プロジェクト「ラジオ下神白」のこと
アサダワタルさんのはなし
一個人として向き合うことを大事に
小森はるかさんのはなし
時間をそのまま保存した
里見喜生さんのはなし
それぞれの人生と向き合う
トーク後の質問
背景をどう伝えるか
見えない壁をなくすために協力
下神白団地と永崎団地をつないだのは永崎団地の全自治会長の藁谷鐵雄さん、下神白団地の管理人の佐山弘明さん、同じく自治会長の遠藤一廣さんたちだった。3人の思いを紹介する。
藁谷鐵雄さんのこと
2つの団地の橋渡し役をする
双葉郡の住民同士でも確執が
佐山弘明さんのこと
遠藤一廣さんのこと
「一生ここにいようかな」と思ったりもする
記事 |
88年の地図2
花柳界が消え料亭もなくなってしまった
前回に続き昭和11年(1936)発行の平市街地の地図の第2弾。今回は西の端、一町目、田町、才槌小路、紺屋町、古鍛冶町、材木町など。丸仙魚店の鈴木康弘さん、三味線・琴の山形屋、池内英俊さんから話を聞いた。
鈴木康弘さんのはなし
賑やかだった紺屋町通り
池内英俊さんのはなし
いまは三味線ではなく琴
連載 |
阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(94)ナチマキザサ
DAY AFTER TOMORROW(251) 日比野 克彦
震災とアート
生きる力としてのアートの役割をしっかりと発揮していかなければ…
コラム |
ストリートオルガン(186) 大越 章子
WISH
願いは真摯に向き合って自分でかなえる