第504号

504号
2024年2月29日
絵・松本令子

       山に入る時はいつも1人。
     複数で行くと感覚が鈍って
      気配に気づけなくなる

 

 続々 湯ノ岳のくまのはなし

 ここ数カ月、いわき市内でくまと思われる動物の目撃情報が相次いでいる。そのニュースを聞く度に、十数年、湯ノ岳でくまの痕跡を記録している、常磐下船尾町の三浦芳治さん(71)の顔が浮かんでくる。7年ぶりに三浦さんにその後のくまたちの様子を聞いた。

 2017七年、初めて三浦さんに湯ノ岳のくまのはなしを聞いた時、足跡などから湯ノ岳には少なくとも三頭のくまがいる、と話していた。2014年に雪の上に10㎝弱の足跡を見つけたくま太郎、2016年にクーという鳴き声を聞いた子ぐまのハナコとくま母ちゃん。
 この7年の間に、ハナコの弟のテツと、ハナコの子どものソウタ、それから食いしん坊のジローが加わり、三浦さんは湯ノ岳で六頭のくまの気配を感じている。ただ、いつも痕跡を確認できるわけではない。例えば、これまでの観察から、くま太郎は移動するルートがあって、4、5カ月に1度、反時計回りにぐるっと歩いて湯ノ岳のある場所にやって来る。
 ハナコは昨年のいまごろ、ソウタから離れた。「オスぐまの子殺し」を避けるため、ある時期、枯れ枝を集めて隠れ家を作り、小さなソウタを守っていたが、誕生から3年目を迎え、子離れした。以後、ハナコの痕跡は見つからず、もしかしたら2頭目の子どもを産んでいるかもしれない。
 春先になるとジローは陽あたりのいい場所に現れ、食べごろを狙ってまず青草、それからマダケ、ハチク、ホテイチクと次々に味わう。どうも日中は藪に隠れ、夜に行動しているようだ。

 この2年はあまり通えていないが、小さなハナコの鳴き声を聞いてから、三浦さんは毎週日曜日に湯ノ岳を歩いてきた。獣道を見つけて痕跡を探しているうちに、くまたちの行動がわかってきて、いまごろどの辺りにいるのかも、だいたい察しがつく。ためしに行ってみると、なにかしら痕跡がある。
 くまの習性もわかってきた。普段は足音を立てずに歩く。もし足音が聞こえたら、危険が迫っているということ。三浦さんは2度、聞いている。テツと母ちゃんの間に身を置いてしまった時と、枝払いの作業員たちから逃げるジローに出くわした時。ざっざっざっざっと、すごい音を立てる。
 勝手にくまに名前をつけ、山に入る時は指笛を吹き、そこにくまがいるように声をかけているが、三浦さんは1度も姿を見たことはない。くまは興味を持つと15m、風下側でも20mぐらいまで近づいてきて、人間の気配を感じて止まる。だから、くま鈴などで人間がいることを知らせるのが大事だ。
 「山に入る時はそれなりの準備をしないと、くまに出くわした時に慌ててしまう。私は山に入る時は、いつも1人です。感覚が鈍って、気配を気づけなくなるから。1人でびくびくしながら歩いているから気がつきます」。三浦さんは言う。
 くまを思わせる痕跡を見つけたら、三浦さんは必ず警察署といわき市、学校近くであれば学校にも連絡している。専門家を訪ね、その痕跡を確認してもらってもいる。それに湯ノ岳を訪れた人々とくまが出くわさないように、三浦さんなりの動きをしている。
 いま三浦さんは、いわきの地図を見ながら、豊間に現れたというくまのことを考えている。


 特集 大黒屋ものがたり

「88年前の地図」を持って平のまちを歩くと「大黒屋デパートの倒産から人の流れが変わった」という人が多かった。あの倒産はいわきの商業にとって分岐点だったと言える。そこで大黒屋の歴史を紐解き、いわきにとっての大黒屋を考えてみた。3弾は気になる店を訪ねてその歴史や思いを取材した。

高回転主義により戦後急成長
大黒屋の歩み
小間物屋から百貨店へ
中町にデパート建設
時代の変化

馬目忠亮さんのはなし
閉店時の専務で馬目三兄弟の二男、忠亮さんから話を聞いた。
新幹線がまちの文化を変えた
大きかった時代の波

小野誠一さんのはなし
大黒屋のリビングやギャラリーを支えたのが小野さん(小野美術)だった。
地域の支えがないと生き残れない

大黒屋百貨店の建物パース
 記事

88年前の地図5

馬目忠亮さんが語る三町目
30m道路で流れが横から縦に

幼いころの佳彦さん(左)と忠亮さん

湯本駅前の再整備のこと
 
温泉街にふさわしい計画なのだろうかのいわきの感想を聞いた。

 

 


日々の本棚
『美しい顔』内山田康著



 連載

阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(97)ケイトウ

木漏れ日随想(13)佐藤 晟雄
四股名(醜名)


 コラム

刊Chronicle 安竜 昌弘

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