510号 2024年5月31日 |
50年守り続けてきたラテンの灯が消える
「中南米音楽の店 モンテヴィデオ」(いわき市平新川町)が、6月1日の土曜日を最後に店を閉める。オープンしたのが昭和49年の4月10日だから、ちょうど50年。ママの薄葉洵子さんが昨年の11月で80歳になったこともあり、悩んだ末の決断だった。
「自分が好きで始めたことなんだから捨てちゃだめ、という思いがこころの奥にあるんです。頑張らなくちゃ、って自分を励ましながらやって来たから悶々としちゃって…。でも4月になって『よし辞めよう』って決めたら気持ちがすっと楽になりました」と、その胸の内を明かしてくれた。
高校を出て薬局に勤めていた洵子さんは昼休み、平にあった喫茶店「丘」によく通っていた。店ではラテン音楽がかかっていて、トリオ・ロス・パンチョスを知った。そのころの平には、ラテンのほかにもジャズやクラシック専門の喫茶店がたくさんあって、それぞれの店には音楽好きが集まっていた。
ラテン音楽に魅せられた洵子さんは、平市民会館での小松原庸子のフラメンコやペレス・プラード(キューバ)の公演に出かけてますますのめり込み、レコードを集めて知識を深めていった。そして30歳を前に、自分の店を持つ決心をする。
1年にわたる喫茶店での見習いを終え、「さあ開店」と思ったらドルショックに見舞われた。周りからは「少し様子を見たら」と忠告されたが、「どっちみちゼロからのスタートだから」と予定通りに始めた。店名の「モンテヴィデオ」は、タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」が生まれた南米ウルグアイの首都のことで、「美しい山」という意味がある。タンゴ好きの洵子さんらしい命名といえた。
開店して3年、5年、7年の区切りでラテンの海外アーティストを招いて記念公演やディナーショーを開いたが、すべて赤字。そのとき「3年後は10周年だし、一生懸命働いて本場を旅行しよう。自分へのご褒美」と思い直し、旅行貯金を始めた。目的はブエノスアイレス(アルゼンチン)での世界的なフェスティバル。その足で念願のモンテヴィデオを訪ね、夢にまで見た地に立った。
洵子さんはこの50年、ずっと1人で店を切り盛りしてきた。「どうしても海外に行きたいし、人に任せている間に何か起こったら大変だもの。旅行に行くときはドアに休業の張り紙をして出かけていました」と説明する。気の合う仲間たちと海外旅行を重ねているうちに、フラメンコのスペインとファドのポルトガルが好きになった。
しかし開店から30年が過ぎたころから、店に出てもワクワクすることが減り、張り合いがなくなってきた。時代が変わってしまったのか、自分が年を重ねたからなのか、正直わからない。でも、何かが違い始めていた。心の穴が知らない間に大きくなっていた。
20年前に話を伺ったとき、洵子さんは「ラテンの音には歴史や人生が編み込まれていて深い悲しみと喜びがある。人間の中に音がないとだめね」と言った。本人曰く、「わたしの人生は百折不撓。人生いろいろだから」。もちろん、その中心にはラテン音楽に溢れた「モンテヴィデオ」での日々があり、さまざまな客との出会いや交流があった。そして洵子さんはいつも、小さな酒場の太陽であり続けた。
「これから何をするのですか」と尋ねると「低い山に登ろうと思うの。おかげさまで足は丈夫だからね。まずは石森山からかな…」と言う。50年間点し続けてきた灯火が消える。あるはずの店がなくなり、いつもにこやかに待っていてくれた人がいなくなってしまう。そうした喪失感が、全身を覆う。
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