第509号

509号
2024年5月16日

    未来ではなく過去へ向かうまちづくり

 ずっと気になっていたところがある。東京都豊島区にあった「トキワ荘」。昭和28年(1953)から37年(1962)にかけて、手塚治虫や寺田ヒロオ、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫など漫画家たちが住んでいたことから、漫画の聖地と呼ばれるようになった。建物そのものは残っていないのだが、豊島区が地区民たちの要望を受けて南長崎花咲公園内に復元、2020年に「トキワ荘マンガミュージアム」としてオープンした。今年に入って上京する機会があり、1月と4月の2回にわたってその界隈を歩いた。

 そのあたりはかつて「椎名町」(現在は南長崎)だった。ミュージアム前の「トキワ荘通り」(俗称)は、狭いながら都市と農村を結ぶ道として栄え、とても賑わっていた。しかし昭和50年代に入ると、西武池袋線の椎名町や東長崎駅近くの大型スーパーが攻勢をかけ、駅から少し離れているこの地区は衰退の一途を辿ることになった。「なんとか賑わいを取り戻したい」という地区民にとって、著名な漫画家たちが若き日を過ごしたトキワ荘はかけがえのない思い出であり、財産といえた。
 トキワ荘については藤子不二雄Ⓐの『まんが道』『愛…しりそめし頃に…』をはじめ、漫画家たちがさまざまなかたちで作品にしている。それをもとに映画やテレビになり、漫画家をめざす若者や漫画ファンの間では、トキワ荘界隈が聖地巡礼の対象になった。昭和57年にトキワ荘が壊されたときも多くのメディアで取り上げられ、NHKでドキュメンタリーが放送された。
 そうしたなかで、トキワ荘再現のための動きが活発になっていく。まず、豊島区議会に4000人の署名を添えたトキワ荘復元の陳情書が出され、地区民主導でトキワ荘関連のプロジェクトが行われ始める。当時の高野之夫区長(故人)には「文化継承の拠点をつくりたい」という思いがあり、ついには「トキワ荘復元」という大きな山が動いたのだった。区が2018年から募っているトキワ荘関連施設整備のための寄付は、今年3月22日現在で4億7900万円(1119件)に達している。
 トキワ荘の再現にあたっては、漫画家たちが暮らしていた築10年ごろの雰囲気を出すように設計された。階段はあえて、ギシギシ軋む音がするようにし、配電盤やトイレ、共同炊事場も昭和の匂いにあふれている。すぐ近くには、漫画家たちがよく出前をとった中華料理店「松葉」が残っていて、巡礼に訪れた漫画ファンたちがラーメンなどを食べていく。

 「どんじりランナーは方向を変えればトップランナー」という言葉がある。南長崎の人たちは開発されずに時代に取り残されてしまった自分たちのまちの良さを知っているからこそ、流行を追おうとせず、人情に溢れた古き良き時代に時計の針を戻した。それは、漫画家たちが心地よく過ごしていた「昭和30年代の椎名町」。街道筋だからこそ、よそから来た人への心遣いが育まれ、時間が美しく流れている。未来へではなく過去へ向かうまちづくり…。いまの時代だからこそ新鮮で、実に輝いている。


 特集 トキワ荘物語

昭和28年から36年まで手塚治虫や寺田ヒロオ、石ノ森章太郎など11人の漫画家が住んだトキワ荘。2020年には豊島区が建物を復元し、トキワ荘ミュージアムとして一般公開を始めた。ミュージアムがある南長崎(旧椎名町)はいま、聖地巡礼をする人たちが訪れている。地元の人たちの思いやトキワ荘の歴史、漫画家たちとの関わりを紹介する。

トキワ荘と漫画家たち
漫画の黎明期をともに走って
良質の文化を創り出した同志

福島県出身者 よこたとくおのこと

としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会
紫雲荘活用プロジェクト
大山 朱実さん
紫雲荘がトキワ荘スタイルをつなぐ

映画「トキワ荘の青春」のこと

 記事

追悼 粟津 則雄さん

文芸評論家でフランス文学者、いわき市立草野心平文学館名誉館長の粟津則雄さんが4月19日、心筋梗塞で亡くなった。96歳だった。生前に交流のあったもと心平記念文学館専門学芸員の小野浩さん、福島県現代詩人・「歴程」同人の齋藤貢さんに寄稿していただいた。

知の巨人が旅立たれた 小野浩
比類なき知の巨人 齋藤貢

つどいで話すさんおしどりマコさん

 連載

木漏れ日随想(18)佐藤 晟雄
思い出のイチョウ



DAY AFTER TOMORROW(255) 日比野 克彦

J TRIP BAR
作品を伝えるということは
どういうことなのだろうか

 

 コラム

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