524号 2025年1月1日 |
僕たちは見えない世界のおかげで生きている
いわき湯本温泉の「古滝屋」の駐車場に、巨大な壁画が描かれている。正確に測ってはいないが、縦が五メートル、横は十数メートルぐらいの浄化槽だった建造物の壁で、10月から、河野夢以さん(31)が脚立を移動させて上がり下りし、時々、離れて眺めながら、壁画専用の匂いのないペンキで描いてきた。
夢以さんは「むい」と読む。夢を以て何かを為す、それに無為自然(あるがまま)の思いを込めて、父が名づけた。東京で生まれ、2歳から6歳まで奈良県の天川村で過ごした。当時、父親は日本画を描いていて、大きな絵を描くその姿が夢以さんの原風景にある。夢以さんも絵を描くのがずっと好きだった。
それから東京に戻って、渋谷の小学校に通い、中学校からは埼玉にある自由の森学園で学んだ。18歳から約10年、福岡で暮らし、築50年以上のレトロなアパート「あさだ荘」の1室を住居兼アート空間にして、頼まれた壁画やグラフィック、イラストなどを描き、映像の仕事もして、夢以さん的に言えば、なんとか生きてきた。
それまで「僕は絵を描いていればいい」と思っていたが、10年ほどの間に、人とのつながりの大切さを痛感した。その後、メキシコで暮らす日本人の友達に頼まれてメキシコに行って壁画を描き、2年ほど海外を旅しながら過ごした。ブラジルやフランス、イタリア、スペインでも壁画を描いたが、古滝屋のように大きくて細かな壁画は初めてという。
2024年2月、夢以さんは知人に紹介されて初めて古滝屋を訪れた。その際、古滝屋の社長の里見喜生さんに「古滝屋は来年、創業330年、壁に絵を描いてください」と頼まれた。初めてのいわき、湯本温泉でもあった夢以さんは、3週間ほど古滝屋に滞在して、里見さんの話を聞き、本や資料を読み、まちを歩いてイメージを膨らませた。
そのうちに描く場所が決まり、駐車場の大きな壁だから、壮大な絵巻みたいなものにしたいと思うようになった。図案も湯本温泉には鶴の恩返しの伝説があるので、世界の民話や物語を盛り込むとともに、花鳥風月や老若男女、神さまから昆虫、微生物まですべての生きものが和気あいあい温泉に浸かって温まり、癒やされ、明日に向かう希望の光になるようなものを考えた。
そうして、10月から巨大な壁面と向き合い始めた。絵を描く感覚は、子どものころから変わっていない。祈りであり、絵を描きながらいのちを感じ、自身も地球の一部と自覚することもある。
11月、夢以さんは東京と長野に出かけ、12月からまた古滝屋の壁と向き合っている。3カ月ほど湯本温泉に滞在して思うのは、人がすごく温かく、深く踏み込まないこと。古滝屋に居候していると、訪れる人のなかに前からの知り合いがいて、つながりの交差点のようにも感じる。母校の自由の森学園の生徒たちも東北と復興の授業でやって来た。
壁画は下描きしないし、図案通りでもない。描きながら人々と話をするなどして進化している。もともと、子どものころに読んで好きだった宮澤賢治も図案にさり気なく登場していたが、壁画には銀河鉄道も現れ始めている。生きとし生けるものたちがみんなで温泉に入っている。地中にはフタバスズキリュウなどが眠っていている。生命誌のようでもあり、眺めていると「ぼくらはみんな生きている」という言葉が浮かんでくる。
「僕はどんなものにも神が宿るという、日本の八百万神の考え方が素敵だと思っている。いのちの見えにくい時代に、見えない世界のおかげで僕たちは生きている、その感覚を呼び戻すきっかけになればいい。人が地球の歌、宇宙の言葉を想い出せるような…」と、夢以さんは話す。
2024年から2025年にバトンを渡すころ、壁画は完成しているかもしれない。
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