第526号

526号
2025年1月31日

   我々が海洋放出を止めなければ、

   だれが止めるのですか

 

 

 ALPS処理汚染水差止訴訟の第4回口頭弁論が1月21日、福島市の福島地方裁判所で行われ、茨城県石岡市で有機農業を営む魚住道郎さん(74)が意見陳述した。
 魚住さんが有機農業を始めたのは1970年。戦後の近代化、工業化で大気汚染や水質汚濁など全国各地で公害が発生し、地域住民に健康被害が起きて、通称「公害国会」が開催されたころだった。
 そのころ農薬取締法も改正されたが、「このままでは次世代の健康が危うい」と感じ、農薬や化学肥料を使わなくても作物、家畜を育てられる有機農業を実践、研究、模索したという。有機農業には豊かな自然環境が必要で、また有機農業をすることで自然環境が豊かに循環する。
 つまり、針葉樹と広葉樹が混ざり合った森で、落ち葉などが育んだ腐植(生物や微生物の遺骸、分解産物で生成された有機物)に雨水が通って、ミネラル豊富な地表水や地下水となり、それらがわき水となって川や湖をつくり、田んぼの動物や昆虫、プランクトン、微生物を育て、海に流れて海藻やプランクトンを育て、魚の産卵場となり、小魚を育てる藻場を豊かにする。
 意見陳述で魚住さんはそう説明して「私たちのいのちは森、里、川、海のいのちそのもの。その生命にひずみが出れば、私たちのいのちは森、里、川、海のいのちそのものです」と続けた。

 ALPS処理汚染水の海洋放出で、当初、魚住さんは魚の汚染が気になり、1970年(昭和45)に水俣に行った時に感じたことと重なって「これは止めなければいけない」という思いにかられた。ところが、その海に流されたトリチウムなどを含む汚染水は、水蒸気、そして雲になって陸地に上がり、上空で冷えて雨となって大地に降り注ぐ可能性があることを知った。
 そして、そのトリチウムが動植物などの細胞に有機結合型トリチウムとして取り込まれてしまうと、生物濃縮を経て生体系に大きな障害が出るかもしれない。そうなると海の汚染に留まらず、あらゆる所が汚染され、農業をしている立場としても反対しなければならないことに気づかされた。
 「海洋放出されるトリチウムは、通常に運転されている原発から出るトリチウムのレベルではありません。それに廃炉までどれくらいの時間を要するのか、だれにもわからない(海洋放出は廃炉が終了するまで続く見込み)。そのなかで、われわれの先を担っていく子どもたち、まだ生まれていない子どもたちはどんな負の遺産を背負わされるのか。国が水俣病を認めるまで12年かかり、その間、多くの犠牲者が生まれた。それがいま、トリチウム汚染水の現場で再現されようとしている。我々が海洋放出を止めなければ、だれが止めるのですか」。口頭弁論後に開かれた報告集会で、魚住さんは語った。
 もっともっと原告を増やして、いま、われわれが止めない限り、だれも止められない、と。


 特集 70年前の地図3 湯本を歩く

湯本商工案内図」を餅ながら歩く特集の第2弾。備中屋本家斎菊の嶋崎剛さん(66)、荒物 久喜屋の比佐ヨウ子さん(91)、野口雨情ゆかりの宿として知られる、新つたの女将・若松佐代子さん(67)から話を聞いた。

備中屋本家斎菊 嶋崎剛さんのはなし
絵でその時代を表した勝之介

久喜屋 比佐ヨウ子さんのはなし
守り続けた看板

野口雨情と湯本温泉のはなし
二人の子どもを連れて身を寄せる

旅館「新つた」女将 若松佐代子さんのはなし
昭和の匂いのする温かみのある温泉街に

 記事

ALPS処理汚染水差止訴訟Ⅳ

人口構造物からの海洋投棄では
第4回の口頭弁論がⅠ月21日、福島市の福島地方裁判所で行われた。国の代理人が「原告には訴える資格がない」(原告適格)と主張していて、いまだに実質的な審理には入れないでいる。この日は茨城県石岡市で有機農業を営む魚住道郎さん(74)が意見陳述し、吉村和貴弁護士が「海洋放出の設備はロンドン条約に違反する人口海洋構造物」と準備書面で反論した。

河合弘之さんのはなし
異議申し立てをやめないことが大事


映画「港に灯がともる」

主人公金子灯を演じた富田美望さんのはなし
こころの拠り所になれる作品
Ⅰ月26日、いわき出身で主演の富田美望がまちポレいわきを訪れ、舞台あいさつをした。
富田さんにとってこれが、初めての主演映画。


レクイエム いわき自分史の会会長 吉田静江さん 
2025年Ⅰ月15日 享年92
いつも爽やかな風が吹いていた





 連載

92歳 要介護5
認知症の母を介護して思うこと 松山良子
②誰にでも訪れる老い
早くも遅くもすることができる

セカンドフォールアウト2 内山田康

阿武隈山地の絶滅危惧種 ③ 湯澤陽一
カビゴケ 苔類 絶滅危惧Ⅰ類

木漏れ日随想(35)佐藤晟雄
私の「残日録」


 コラム

刊Chronicle 安竜 昌弘

偏見のありか
朝鮮半島を学び
個の人格として人間を見つめる