527号 2025年2月15日 |

わたしたちの居場所
いわき市の隣町、北茨城市関本町の山の中に「岩塙山荘珈琲店」がある。11年前に田中恭助さん(74)、弘子さん(71)夫妻が始めた。豆とローストにこだわる自家焙煎の店で、建物はロッジ風。外の冬枯れた木々の景色を眺めながらコーヒーを飲み、薪ストーブの炎に目をやる。居心地がいいのだろう。客たちは長くいて、めいめいに自分だけの時間を過ごしている。
この建物はもともと、弘子さんの父母が経営していたバーベキュー施設の管理棟だった。いわき市遠野町入遠野出身の父、小松芳夫さん(故人)が、田人の朝日原生林で大きくなった伐採予定の木を営林署から払い下げてもらってこだわりの庭をつくり、そこに何棟か丸太小屋を建てて炉を切った。炭火で肉や魚、野菜を焼いて酒を飲む、そんな空間だった。字名から「岩塙山荘」と名づけられたこの施設は約30年使われたが、母の脇子さん、父芳夫さんと亡くなり、10年近くそのまま放置されていた。
2人に「ここで暮らし、喫茶店を始める」と決意させたのは、自閉症の長男だった。成長期にはスポーツ教室に通って走ることが好きになり、親子3人でマラソン大会に出たり、山登りをするなど、なんとか平穏な日々が続いていた。しかし、養護学校を卒業して作業所に通い始めたころからこだわりが強くなって、行けなくなった。自我の芽生えによる親離れの兆候だった。そのころの恭助さんは仕事が忙しく、弘子さんへの負担が大きくなっていた。
そんなとき、恭助さんが「仕事を辞めて岩塙山荘で喫茶店をやる」と言い出した。3人一緒に自然に囲まれた山荘で暮らし、親が働いている姿を見せれば、息子も落ち着くかも知れない、と考えてのことで、荒れ放題になっている庭のことも気になっていた。
弘子さんにとってそれは、青天の霹靂だった。確かに喫茶店でゆったり過ごして自分の時間を持つことは好きだが、カウンターのなかに入ってコーヒーを振る舞うなど思いもよらなかった。何より恭助さんは仕事人間で、喫茶店とは無縁の人だった。でもその思いを受けることにし、そこから2人で庭の雑草刈りと喫茶店めぐりを始めた。太くなったススキを手で切るのは大変だったが、きれいになっていくのが楽しみでもあった。
良さそうな喫茶店をめぐっての結論は、自家焙煎のコーヒーを出すことだった。コーヒーコンサルタントで横浜在住の中野弘志さんの本を紹介されて読んだ恭助さんは、自分でもできるような気がした。電話してみると、「お出でください」と言う。日程を調整して2人で横浜を訪ね、1日かけてみっちりと焙煎の仕方を習った。
中野さんの指導はぶっつけ本番で、感性を大事にした。「基本は品質。パフォーマンスではない」がモットーで、焙煎をしているときにパチパチとはじける「ハゼ音」を聞き分けるように教えられた。豆の特徴を見極めて温度をどう上げるかも大切だった。それを体で覚えるまで何回も繰り返した。さらに、横浜にあるコーヒー豆の専門店を紹介してもらい、喫茶店の準備が整っていった。一番肝心な焙煎は、オープンまで試行錯誤を重ね、なんとか納得がいくまでになった。そしてブレンドのベースはブラジルにした。
2013年(平成25)11月、「岩塙山荘珈琲店」がオープンした。はじめのうちは部屋にこもっていた長男も三、四年たつと落ち着きが戻るようになり、高萩にある施設のショートステイに行けるようになった。いまはその施設に入所している。
入所当初、2人は金曜日に息子を迎えに行き、土曜日と日曜日は3人でドライブなどをして過ごしていた。それは店を始めたころからの決めごとで、店の休みが土曜と日曜なのはそうした事情からだった。コロナ禍のあと、長男の外泊が月一回になっても、2人はそれを変えないで守り続けている。
春は目にまぶしい新緑のシャワーが降り注ぎ、秋は目を奪うような紅葉に包まれる。そうした自然の移り変わりのなか、店にはいろいろな客が来る。なかには自分たちより大変そうな人もいる。そんなとき2人は「気分転換をして素の自分に戻ってもらえるような店になれたら」と思う。
「この店を始めたことで社会が広がり、社会を見る目も変わりました。そのきっかけは息子が与えてくれたと思っています」(弘子さん)。岩塙山荘珈琲店は、間違いなく自分たちの居場所になった。
特集 並木の杜ができた |
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点が面にならないと人は動かない

記事 |
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連載 |
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