528号 2025年2月28日 |

35歳と10カ月という短い人生で、モーツァルト(1756―1791)が最後に作った曲は「レクイエム」だった。1791年7月のある日、灰色の服を着た背の高いやせた男が訪ねてきて「レクイエム」の作曲を注文した。そのころモーツァルトはオペラ「魔笛」の曲づくりに取り組んでいて、さらにオペラ「皇帝ティートの慈悲」の仕事も舞い込み、これらを優先して作曲した。
そのため「4週間ほどで完成させる」という灰色の服を着た男との約束は守れず、期日がくると灰色の服を着た男がまたやって来て催促した。のちにわかったことだが、依頼主はフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵で、灰色の服を着た男は隣人だった。伯爵は亡き妻の命日に「レクイエム」を自作と偽って演奏しようと計画し、匿名で依頼した。
そうして9月下旬、オペラ「魔笛」の初演が終わり、モーツァルトは本格的に「レクイエム」の作曲に取りかかった。けれど身体の衰弱が激しくて作曲ははかどらず、11月には起きて仕事を続けられる状態ではなくなっていた。それでも「レクイエム」のことが頭から離れず、弟子のジュースマイヤーに繰り返し構成や進み具合、先のことなどを説明、指示していたという。
死の前日、モーツァルトは見舞いに来た友人たちと書きかけの「レクイエム」を一緒に歌い、臨終の際にはティンパニーのパートを口ずさんだ。モーツァルトの死によって「レクイエム」は未完のまま遺され、弟子のジュースマイヤーが補筆して完成させた。
ハイドンやショパンの葬儀の際、この「レクイエム」が演奏されている。
モーツァルトの「レクイエム」が来年の3月15日、NHK交響楽団のいわき定期演奏会で演奏される(会場はいわきアリオス大ホール)。そのために、いわき市民レクイエム合唱団が結成され、N響の楽団員と独唱のプロの歌手とともにステージに立ち、ラテン語で「レクイエム」を歌う。
アリオスの学芸員の足立優司さんによると、レクイエムは死者のミサ曲で葬儀のための曲のイメージがあるが、実際には万霊節といって年に1回、先祖など亡くなった人たちが戻ってくる日、日本のお盆のような日に演奏され、悲しみとありし日の温かな交流を思い出すような曲という。
来年は震災から十五年になる。演奏会では初めにモーツァルトの「アダージョとフーガ K546」で追悼の献奏をし、次にプロコフィエフの「交響曲第一番『古典』op.25」。これは四楽章を通して、ありし日のあたたかな家庭の風景をイメージする。そして「レクイエム」で、亡くした大切な人をすぐそばに感じる。アンコールは……。プログラムには、そういう思いが込められている。
もうひとつ、コロナの感染拡大で活動ができなかった合唱を愛する人たちへのエールも込められている。
もうすぐ震災から14年を迎える。そして来年は15五年。「レクイエム」はあの日、それに自分と向き合ういい機会になる。
特集 70年前の地図4 湯本を歩く |
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