第529号

529号
2025年3月15日

                                    「みだれ髪」はふるさとの歌

 今年も3月11日を迎えた。東日本大震災と東京電力の福島第一原発の事故から14年。この日は青空にベールのように雲がかかり、海沿いは強い風が吹いていた。海岸線をゆっくり車で走り、塩屋埼灯台下の駐車場に止め、雲雀乃苑から海を眺めた。

 その2日前、木村眼科クリニックの豊間にある研修センター「兎渡路の家」で、ピアニストの西村由紀江さんと、いわき出身のフルート奏者の遠藤優衣さんのコンサートが開かれた。タイトルは「豊間の海に捧ぐ あの日を忘れない」。サブタイトルに、奇跡のピアノが奏でる鎮魂のメロディ、とあった。
 西村さんが弾いたピアノは、津波に遭って大きく損傷し、ピアノショップいわきの遠藤洋さんの手で再生された豊間中学校の体育館のピアノ。いまは「奇跡のピアノ」と呼ばれ、普段、豊間中があったそばに建てられた「いわき震災伝承未来館」に展示されている。
 震災で500台ものピアノが失われ、西村さん自身、全国の家庭で使われていないピアノを譲り受け、震災でピアノを失った人たちに届けるプロジェクト「スマイルピアノ500」をしている。これまでに届けたピアノは63台。その活動を通して、ピアノは物ではなく家族であることを感じているという。
 コンサートは、西村さんの「あなたに最高のしあわせを」の演奏で始まった。ショパンの作品メドレーなどを挟み「朝日のあたる家」を弾いた。この曲は、沿岸地域の家庭にピアノを届けるために、幾度か見た朝日が昇るシーンから生まれた。「この穏やかな日がずっと続きますように」。西村さんの祈りが込められている。
 中盤に演奏されたのは、美空ひばりの「みだれ髪」だった。塩屋埼灯台が立つ塩屋岬が舞台になっている歌。40年近く前、星野哲郎と船村徹のコンビで作られた。西村さんのピアノは歌い出し、メロディーがこころに響き、涙する人も少なくなかった。「みだれ髪」は、いわきの歌になったと感じた。
 そのあとの優衣さんとのデュオでも美空ひばりの「川の流れのように」が演奏された。優衣さんはピアノを再生した遠藤さんの娘さん。久之浜中学校の2年生の時に震災に遭い、福島第一原発から30㎞圏内だったために避難を余儀なくされ、間借りした中央台北中に通った経験がある。
 最後にみんなで「ふるさと」を歌い、コンサートは幕を閉じた。

 その日、雲雀乃苑に人影はなく、海を眺めたあと「みだれ髪」の歌碑の前にたたずみ、そこから塩屋埼灯台を見上げ、遺影碑のそばで流れ始めた「みだれ髪」の歌を聴いた。帰り道、薄磯の防潮堤の上で手を合わせ読経する僧侶の姿があった。
 あれから14年、それぞれ何を思うだろう。

 


 特集 3・11後の福島で電通は何をしたのか

長野県で産直泥つきマガジン「たぁくらたぁ」を発行している野池元基さんは福島第一原発の事故後、国や福島県などに情報開示請求を繰り返し、原発事故後の福島に関係する電通の広報事業の実体を明らかにしてきた。2月24日、三春町の三春交流館まほろで開かれた野池さんの講演や弁護士・海渡雄一さんの話、質問や意見をまとめた。

「たぁくらたぁ」編集人 野池元基さんの講演
自分の考えを自分の言葉で伝える
事業の委託先は電通
空気づくりにメディアを使う
地元メディアとの発信研究会を設置

電通の手法を自ら行うメディア
子どもや保護者に安全を伝える
ニューメディアとのタイアップ
言葉に寄りかからない

海渡雄一さんのはなし
市民と報道で反撃を
「電通」の歴史
原発と電通

参加者達の意見
保養を企画し叩かれた
情報も政治もおかしい
お金で空気を変えられた
個の考えが求められる
無力感の持つ危険

『たぁくらたぁ』編集人の野池元基さん

 記事

PERSONA(ペルソナ)
市美展絵画・彫塑の部で市長賞と青少年の部をダブル受賞した 田仲凛太朗さん
自分だけの色や線、音で内面を表現する

シネマ帖 
パリタクシー
花の都を舞台に人生が交錯

日々の本棚 
『父、松本竣介』松本莞

PERSONAの田仲凛太朗さん
 連載

92歳 要介護5
認知症の母を介護して思うこと ⑤ 松山良子
認知症になりがちな人
依存が強く自分で考えない


阿武隈山地の絶滅危惧種 ⑥ 湯澤陽一
ミヤマミズゴケ 苔類 絶滅危惧Ⅰ類


木漏れ日随想(38)佐藤 晟雄
やっと見つけ一冊の本



DAY AFTER TOMORROW(265) 日比野 克彦
インドネシアにて
多様性を求めて東南アジアの若々しい国へ

 コラム

ストリートオルガン(199 大越 章子

中島洋子さんの思い
あの日あの時もしあの場所にいたら