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 6月18日の夕方でした。山一商事の森峯男社長が市役所の廃棄物対策課を訪れ、課長に「廃棄物最終処分場の設置許可申請を取り下げます」という文書を提出した、という連絡が自宅に入りました。それを聞いてまず思ったのは「なぜ?」ということでした。
 4月末にいわき市は再審査を開始し、あの場所の地層がもろいので壁面の安全性の計算と、経営資本についての確証を示す基礎的資料の提出を求めていました。しかし業者からは返答がなかったようです。ここまで市を追いつめて、あっさり取り下げた理由はいまもわかりません。

 2001年年春、わたしは高校の数学教師を定年退職しました。これから何をしようかと考えていた時、教え子に「法律に関心を持っています」などと手紙に書いたら、彼女が法律の資格の本を送ってくれました。
 そのなかの司法書士のページを見て、お年寄りの財産を守る成年後見人のことを思いました。以前、テレビで自分より若い人たちの後見人になっている80歳のおばあさんのことが放送されました。そのおばあさんは70歳で資格を取ったようです。
 「これなら」と思い相談するため、弁護士に電話をかけて事務所を訪ねました。そこに山一商事の処分場の問題で内郷の人たちが来ていました。「計画場所を一緒に見に行きませんか」と誘われ、その場所に行ってみました。山桜がきれいに咲いていました。

 何か会をつくって建設反対の署名を集めるには代表者が必要です。しかし内郷の人たちはだれもやりたがりません。「半沢さんは退職したんだし、俺が守るから名前だけ貸してほしい」。弁護士にそう言われて、名前だけの責任者になりました。わたしはその後一度も、代表や会長という言葉は使ったことがありません。
 何も手伝わないまま、6月には発足会を開き、司会などをしましたが、わたし自身、何が問題なのかはわかっていませんでした。秋になって、少し署名を集める手伝いをしました。区長を回ってお願いして、暮れには2、3万の署名が集まり、周囲はもう十分という雰囲気でした。
 しかし、本当にこれでいいのかしら、と思いました。教師時代、いわき光洋高校の校舎増設の署名をみんなで5万人分集めたことがあります。それで高校時代の友人に相談し、知人、友人を訪ねて署名のお願いをして、翌年の1月に5万6千の署名を当時の四家市長に提出しました。
 あの時の四家市長の言葉は印象的でした。「よく集めましたね」と言った後、「わたしは頼んだわけではありません」とおっしゃったのです。
 あのころ「こんなにやっているんだから大丈夫」と思っていましたが、あとで市に情報公開を請求して知ったのですが、あの時市はすでに、処分場の手続きは環境影響評価に進めようとしていました。
 「山一はとんでもない。いわきは大きなことを進めようとしているのに、あんたら何をやっているのか」と、見ず知らずの人に言われたこともあります。しかし地元の内郷の人たちは動かないし、友達と2人でいろんなところに署名をお願いしに歩くのが精一杯できることでした。
 3月には7万2千の署名を市に提出し、ここで止めようと思っていた矢先、市は山一商事に環境影響評価に進めることを通知しました。署名が10万になるまで頑張ろうと決意し、教え子たちなどのところも訪ねました。1年かかって2万8千の署名を集め、翌年4月に10万1千の署名を提出しました。

 近所にパソコンの得意な人がいて、月に何回か教えてもらい、平成16年4月にホームページを立ち上げました。産廃処分場を阻止する会で作っていた広報紙も3号から「にりんそう」と名前を変えてかかわり、月に1度発行しました。建設計画地に行った時、ニリンソウの群生地があり、そこから名づけました。
 アニメ映画「ダイオキシンの夏」の上映会をしたり、たまに講演会や集会を開いたりもしてきました。しかし運動が長引くほど、周囲の熱は冷めてしまって「もういいわ」という感じで、わたしもやっても何も生まれませんし、やめようと思っていました。でも道路の裁判をしていので、そういうわけにもいきませんでした。
 初めは処分場のことを何も知りませんでしたが、全国の処分場反対運動の集会に出かけて勉強したり、調査データを読んだりすると、管理型処分場は被害が出ていますし大変です。海外ではこのような処分の仕方はしていません。
 関西などではすでにさまざまな問題が出ています。いまが過渡期で、ここを防げば日本もお金をかけて産廃ゴミを安全に処理するようになるのではないか、と思いました。「21世紀の森に処分場が造られたら、いわきに住んでいられなくなる」。その一心で活動を続けてきました。それに応援してくれる人がいたから続けられました。
 市議に頼め、市長に頼めなどという話が、会の集まりでもよく出てきました。でも処分場問題でわかったのは、政治家は自分たちのことしか関心を持たないし、勉強もしていないことです。国でも市でもそれは同じなのです。「いま市民が興味を持っているのは医療問題だ、だれも処分場のことなど言っていない」。そう言った市議もいました。市民と政治の結びつきだって、自分の利益だけです。

 6月22日、裁判所から道路裁判の「請求の確認書」が届きました。山一商事が請求の内容を全面的に認め、訴訟は終結しました。計画予定地が今後どうなるか心配ですが、他地域では業者が市に寄付したり、市が買ったりなどしているようです。
 いまのところ、わたしの生活はこれまでと変わらず、(6月)28日の集会の準備をしていますが、体は軽くなった感じがします。




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