このところずっと、1枚のCDを聴いている。フォーク者(しゃ)
イサジ式の「いつか来た道」。フォークの伝統ともいえる土着の泥臭さがあり、心のなかの原風景が浮かんでは消える。ジャケットを開くと飛び込んでくる「小名浜港に捧げる」という文字。歌詞に散りばめられている「臨海鉄道」「夕暮れ煙突」「陽のあたる防波堤」「珈琲屋をさがそう」「1976」ノ。このCDには、あのころの小名浜が息づいている。しかしそれは、単なる郷愁ではなく、「ありふれた風景がもどってほしい」という、祈りのような願いだ。
「イサジ式」こと伊佐治勉さん(60)は小名浜の弁別地区で育った。日本水素(現在の日本化成)の城下町ともいえるこの地区のシンボルは、赤と白に塗り分けられた高い煙突。下には工場群が張り付き、臨海鉄道が走っている。そのなかにひっそりと社宅があった。近くを流れる藤原川は絶好の遊び場で、仲間たちと少し上流の堰で泳いだ。
そんなふるさとが津波に襲われ、放射能をまき散らされた。いてもたってもいられず東京から高速バスで小名浜へ向かった。そこで見たものは腰を抜かすほどの光景だった。ひっくり返っている大きな船。それは、友だちの船だった。日を追うごとに、「当事者なのに当事者になれない思い」が募り、葛藤が続いた。そして歌が生まれた。「どうか忘れないで」と。
浜辺を歩き何事も
なかったような海を見る
同じ波打つ海のそば
帰れない町がある
もうすぐ春の花祭り
寄せては返す人の波
同じ花咲くあの町に
帰れない人がいる
目に映らない
災いは続いている
どうぞ忘れないで下さい
(帰れない町)
「自分の中にある小名浜の風景は、言ってみれば寺山修司の映画『田園に死す』のようなもの。さまざまな記憶がフラッシュバックとなって浮かんでは消える。そこにはいつも小名浜回帰がある。あのころへの憧憬に違いないが、決してセンチメンタルではない」
伊佐治さんは、そんな思いを言葉にして音に乗せる。まさしく「ONAHAMA BAY BLUES」だ。
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