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 更に自分は、はつきりと行く
 人の造つた形に別れ
 喜怒哀楽の情にも別れ
 全き人間となるために
 此処で、きつぱり皆と別れる
 何が本当の音声であり
 何が本当の言葉であるか
 どしどし雨に打たれ
 如何にも俺は俺らしく
 本当でしかもいい声を
 どうしても
 さうだ
 どうしても出さなければならぬ

 昭和25年、天平40歳の時の詩。その年の『文藝春秋』7月号に掲載された。当時新しい文藝春秋社を興した池島信平と交遊があり、比叡山へ行く前に天平が池島に原稿を託したらしい。名編集者として名を売り、のちに文藝春秋社の社長になった池島は、天平よりひとつ上(天平が早生まれのため学年は一緒)だった。
 天平が突然、どういう理由で比叡山をめざしたのかは謎だが、この詩や比叡山日記を読むと何となくわかる。戦争に敗れ、それまで培ってきた伝統とアメリカ発の自由がごちゃ混ぜになっていた戦後の日本。何が本当の声で何が本当の言葉なのか―。天平は自然の中にすっぽりと入り、雑音をすべて排除して自分が持つ素の価値観と向き合おうとしたのだろう。
 天平には自分がこうだ、と思うと世俗を捨てて自分の信じた道を突き進むところがあり、そうした面 が強調されて「求道的」とか「超俗のシンボル」と言われることが多い。
 当時天平は「このまま東京にいると自分がだめになる」と思ったらしく、自らの肉体と魂を比叡山に強制疎開させ、本質をぐいとわしづかみにしようとした、とも言える。





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