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これからは懐手をして歩くのは
やめることにしよう
人から辞儀された時など
失礼であるし
それに又
ふしだらな気分を与へるから厭だ
寒くともはつきりと
手を出して
天上の威儀に従つて
昭和27年4月27日、都新聞の記者、仲村譲が梅乃から手渡された原稿。天平が逝って2日後のことだ。この未完未発表の遺稿の裏には、鉛筆で推敲された文字がびっしりと書かれていた。それを見た仲村は、胸が締めつけられるような思いにとらわれる。天平の、詩と向き合う覚悟をまざまざと見せつけられ、自分が惨めになったのだった。
松禅院時代、天平は都新聞にエッセイや詩などを書いていた。その担当が仲村だった。仲村は学徒出陣したあと京都に戻り、文芸雑誌の編集の手伝いを経て記者になった。当時、文芸復興運動が盛んで、仲村も記者をしながら詩を書いていた。それだけに、天平の詩にかける一途な思いが、嫌というほどわかった。
新聞記者を気どり、カストリ焼酎を飲んで文学論をぶっている自分。天平の生きざまと接するたびに「詩とは生き方と覚悟。自らを律しなければ詩を書く資格などない」という思いが強くなっていった。それでも世俗にまみれてしまう自分。仲村は天平の死に強い衝撃を受け、天平追悼の詩を最後に「詩を書く」行為をやめる。
仲村は「いまの時代、詞人はいても詩人はいない」という。それは精神と行動と詩が一致して初めて詩人になり得る、ということなのだろう。
「寒くとも/はつきりと/天上の威儀に従つて」。折り目正しく純粋な天平らしい遺稿と言える。
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