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この10年を話す蔡。会場の立派さと演出に「結婚式みたい」と笑った
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出版パーティー
7月17日の夜、蔡國強はホルストの「木星」に包まれるように、会場に姿を現した。場所は平字1町目のワシントンホテル。9年前、ほとんど無名だった蔡を支え、地平線プロジェクトを成功させた仲間たちが、蔡といわきの関わりを本にし、出版記念パーティーを開いたのだった。長身の蔡はにこやかにテーブルを回り、握手しては旧交を温めた。
地平線プロジェクト
1994年(平成6年)の3月7日午後6時38分、確かに海上を火薬の光が走った。
連日のように報道される蔡のプロジェクトに関する動き。人々の心には、何か面
白いことが起こるような、そんな期待感が知らず知らずのうちに育まれていた。前日、波が高くて延期になったことも、市民の好奇心を刺激したのだろう。沼の内から四倉までの海岸線には、5000人もの人が海を走る火を見たくて集まった。
何を期待していたのか、それはわからない。蔡のプロジェクトの意味を理解していた人が何人いたのか、それもわからない。たぶん、ほとんどの人がもの珍しさから、海岸線へと走ったのに違いなかった。自分もそんな一人だった。
少し早めに新舞子海岸へ向かい、暗闇の中でただ、真っ黒い海だけを見つめた。何分たっただろうか。何とも弱々しい光がゆっくりと海上を進んでいくのが確認できた。その赤い光は「パフォーマンスやイベントの延長」として見ていた人たちには、何の感動も与えず、落胆だけを残して目の前を通
り過ぎていったのだった。
そして9年。あのプロジェクトを上辺でしか見ていなかった自分のところに出版記念パーティーの招待状が届いた。送り主は、ギャラリー磐城と泉ヶ丘を経営している藤田忠平だった。「本の取材をしたい」と電話をすると、「泉ヶ丘のギャラリーに一日中いるからどうぞ」と言う。何の予備知識も持たずに、ただ、蔡といわきの関係を知りたくてギャラリーに向かい、そこで蔡といわきの人たちとの物語を知った。そこには利害抜きの、人と人との心のストーリーがあった。「追いかけたい」と思った。
パーティーでは、プロジェクトに関わった、さまざまな立場の人たちがスピーチをした。蔡の人間性なのだろうか。会場は穏やかな空気に包まれていて、蔡からも少し話を聞くことができた。しかし断片的で、取材と言うにはほど遠かった。
2次会へ
蔡は次の日の朝早く新潟へ向かい、その足で東京へ戻ってニューヨークへ帰ってしまうという。「どうしたものか」。思案に暮れていると、藤田ともにプロジェクトを実行させる大きな力となった志賀忠重が「これから2次会に行くんですが一緒にどうですか」と誘ってくれた。レンガ通
りの磯勘に席が用意されているという。「願ってもないことです」と言い、言葉に甘えさせてもらうことにした。蔡は実にうまそうに日本酒を飲み、魚を食べた。そして真摯に、しかも力強く自らの芸術を語った。だれもが蔡との再会がうれしいらしく、温かい会になった。
真夜中の握手
午前1時近かった。蔡が泊まるホテルの前で、「どこまで本質に迫れるかわかりませんが…。ありがとうございました」と、別
れのあいさつをした。すると蔡は「いいから」とあいまいな受け答えをしたあと、「これからこれから、楽しみは先にとっておこう」と、おどけて笑った。そして、「志賀さんに作品のCDを預けたから自由に使って」と言い、握手をした。実にしなやかな掌の感触だった。
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