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志賀忠重は、蔡國強と会うたびに思う。
「いわきで地平線プロジェクトをしたころとまったく変わらない。あのころのままだ。当時は無名、いまでは世界的に著名なアーティストになったというのに。だからこうして、つきあいが続いているのだろう」
今年の春、蔡からメンバーのところに1枚のFAXが届いた。「カナダのモントリオール郊外にある、カナダ国立シャウィガン美術館でいわきの廃船を展示することになった。スミソニアン美術館の時と同じように、また協力してもらえないだろうか」。そんな内容だった。
廃船は、蔡のたっての要望で、小名浜下神白のいわき海星高校前の砂浜から掘り出された。蔡には、いわきのメンバーとの友情を作品としてかたちにしたい、という思いがあり、その象徴が、いわきの砂浜に打ち上げられている廃船だった。当初は、ポーランドでの蔡の展覧会で使われるはずだったが、会場が廃船の重さに耐えられないことがわかり、しばらく小名浜港のコンテナヤードに眠っていた。その後、アメリカのワシントンD・Cにあるスミソニアン美術館に展示されることになり、解体されて海を渡った。
この作業は、蔡と、かつて地平線プロジェクトを成功させた「いわきからの贈り物」メンバーとの友情の証と言えた。メンバーたちは、蔡に喜んでもらいたい一心でボランティアとして廃船を掘り出し、渡米。スミソニアンで廃船を組み立てた。蔡は、その船に、自らの生まれ故郷・福建省泉州の真っ白い磁器の破片を波に見立てて配し、「Traveler」(旅人)と名づけたのだった。
それが2004年の10月から半年。展覧会終了後、役目を終えた廃船は再びニューヨークで眠りにつき、次の出番を待っていたが、今回の蔡のカナダでの展覧会で、またも蔡の手で命を吹き込まれることになる。
船が作品としてよみがえるたびに、蔡はメンバーに組み立ててもらい、友情を確かめ合いたいと思った。それが、作品「Traveler」が存在する、真の意味と言えた。蔡のオーダーに異論があるはずはなかった。全員で行きたい、と思った。メンバーたちは口々に「蔡さんとの仕事は楽しい。みんなでモントリオールへ行こう」と確認し合い、10人でカナダへ飛んだのだった。
メンバーたちは、6月3日に成田を発ち、廃船を組み立てて、オープニングセレモニーに出席した。その席で、志賀はこうスピーチした。
「人と人との信頼は、地域を超え時代を超えても成り立つことを、蔡さんとのつきあいを通して確信しました。われわれの祖先が使った廃船と、中国泉州の磁器を使って蔡さんが作品にしました。そのうれしさと感動を、いわきに古くから伝わるじゃんがらのメロディーに乗せて、表現したいと思います」
そして、じゃんがらのメロディーがカナダの地に鳴り響いた。
蔡はいま、スタッフを7人使い、年間の経費が1億円必要な日々を送っている。それでも、スタッフが足りないのだという。志賀が展示を見ながらふと「スミソニアンのときよりきれいですね」と声をかけると、蔡が「良いアーティストは、同じ作品でも必ず前より良くなります」とうれしそうに言った。
「次は北京で」が蔡とメンバーたちの合言葉。2008年7月の北京五輪。ビジュアルを任されている蔡の頭の中を、北京を舞台とした「いわきとの友情の物語」の新しいシナリオの構想が、静かに回っている。
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