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| 小名浜海陸運送の倉庫に運び込まれ、板が外される廃船
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1本のビデオが手元にある。NHKが制作した列島リレードキュメント「キャンバスは地球」。わずか15分の番組だが、蔡國強の「地平線プロジェクト」を準備段階からきちんと追いかけている。そこに船大工の鈴木愛蔵(当時71歳)が出てくる。愛蔵はその中で「いやぁ、夢をもう一度、ちゅう感じだったねぇ。夢がら醒めさせでもらった、つうが、起ごしてもらったような気がしだよう」と、にこやかに話している。
ある船大工
廃船が砂浜から小名浜海陸運送の倉庫に運ばれた。とはいっても、それで終わりではなかった。まだ難題が山積していた。蔡は、廃船の表面
に張られていた板をはがして、骨組みだけにしたいと思っていた。さらに、外した板で「三丈の塔」を作る構想が固まっており、「美術館での展示方法」が大きな問題だった。
全長13.5メートル、高さ5メートル、幅5.5メートル。この巨大な船をどうばらして、いわき市立美術館内の展示室まで運び、組み立てるのか―。それにはプロが必要だ。
志賀忠重は、かつて木造船が主流だったころに船大工をしていた愛蔵を紹介してもらい、例によって蔡と一緒に愛蔵宅を訪ねた。
愛蔵は二人をにこやかに迎え、自分が設計して施工した北洋サケマス船の図面
を披露した。そして「今、船は鉄か合成樹脂。木のころのごど、知ってるものはそういねえべねぇ。いいよ、やってみっから」と言った。
無力感
船の解体が始まった。愛蔵の指示を受け、実行会のメンバーが大きなハンマーやバールを振るい、厚さが5センチ以上もある板をはがしていった。どうしてもはがれないところは、チェーンソーを持ち出し切断した。作業はきつかった。さまざまな人が入れ替わり立ち替わり手伝いにきてくれるのだが、掌は豆だらけになり、夕方には全員ぐったりとして、声を出すこともできなかった。
廃船の掘り起こしから引き揚げ、解体という一連の作業の中で、蔡は自らの無力感を感じていた。そして言った。「今の主役はみんなです。僕は何もできない。ただのボランティア。本当にありがたいですね」と、みんなの頑張りに心から感謝した。
元気なのは愛蔵だった。「いいがい、木には木の癖っつうものがあんだわ。そして船のかたちも独特だっぺ。左右に振られっかんね」と、とまどう蔡に説明し、叱咤激励した。
呉の水餃子
実行会のいいところ、それは楽しみを持ちながら作業をする努力を惜しまなかったことだった。大変なのはわかっている。しかしそれが、変にむきになったり、無理をするようになると、気持ちがぎくしゃくするし、事故につながる。だから、みんな気分良く、楽しくやろう。そして最後にみんなで喜びを分かち合おう。志賀はそんなスタンスを貫きたいと思っていた。
蔡のプロジェクトは終わってしまうと、記録に残りにくいところがあるので、志賀はスタート時点からビデオと写
真で丹念に記録をとった。それは、みんなの気持ちを思い出として残し、ビデオなどを見ながら茶飲み話をしたい、という発想からだった。
解体作業中も、みんなで昼食やお茶の時間を持ち、和気あいあいと過ごした。一番寒い季節だった。底冷えのする倉庫の中で手はかじかみ、感覚さえなかった。でも、昼食やお茶の時間になると、食事係が心を込めてあつあつの豚汁や甘酒を用意した。蔡夫人の呉紅虹も本場の水餃子を作った。みんなの気持ちが一つになった。志賀は書いている。「呉さんが作ってくれた水餃子の味は今も忘れられない。楽しいことがあるから頑張れる、それをみんなと共有できるから長続きするのだ」
廃船は板をすべて外され、骨組みだけになった。そして五つに分割され、美術館に搬入できる見通
しが立った。作業を終え、愛蔵が言った。「木造船にかかわったのは25年ぶりだったけんとも、体はちゃんと覚えてるんだねぇ。もう70の坂も越えたし、これが最後の思いでだっぺな。忘れていた船のごど思い出させでもらって感謝してるよ」 |