蔡國強はコミュニケーションと意外性を重視する。 夢を持ってやってきた日本。しかし、満足に自分の作品を見てもらうことすらできなかった。「焦っても仕方がない。いつか出番がやってくる」と思い、ただ横になって天井を見つめる日々を過ごした。そんな時、ある出会いがあり、少しずつではあるが人脈が広がった。蔡は、それらを大切に温めて、人生と作品を交わらせていく。その象徴がいわきとのつきあいで、それはみんなで1つの方向へ向かって行けばよかった。成功も失敗もなく、関わり合うことが一番重要だった。
ポーランドへ行くはずだった廃船は、半年近く、小名浜港のコンテナヤードで眠った。当初は、ポーランドで何らかの作品にしたあと、アメリカ・ワシントンDCにある、スミソニアン美術館に回るはずだった。ところが、ポーランドから断られ、スミソニアンでの蔡の展覧会が始まる秋まで、預かってもらっていたのだ。そして秋、再び、「いわきからの贈り物プロジェクト実行会」が動き出した。
いわき海星高校近くの砂浜に埋もれていた独航船。メンバーは、その10トン以上もある廃船を掘り起こし、6つに解体して、時が来るのを待った。それがやっと日の目を見ることになったのだ。主要メンバーが集合し、さらに細かく解体してコンテナに積み込む作業を行った。9月の初めのことだ。
しかし、簡単にはいかなった。まず、船体を切断して、長さ12メートル、高さと幅が2.5メートルのコンテナ2個に分けて詰め込んだ。しめて約140万円。蔡が交渉してくれて、運賃と組み立て料程度は、スミソニアンが持ってくれる気配だが、台風が来て、思うように出荷できない。展覧会は10月23日からだ。それには、何日か前にはワシントンに到着しなければならない。組み立てて蔡が作品として手を加える時間が必要だ。船便で東海岸まで運ぶには40日はかかる。相手との連絡もままならず、メンバーはやきもきした。
しかし、このハプニングさえも、蔡にとっては作品の1つなのだ。蔡が、いわきの廃船をもう一隻掘り起こしたい、と言った途端、そのプロジェクトはきちんと秒を刻み始め、関わった人々の一挙手一投足が理由づけされて、記録されるのだった。
スミソニアン美術館は、スミソニアン博物館群のなかにある。見学はどこも無料で、スミソニアンという財閥が、「入場料を取らない」ことを理由に、寄付したのだという。蔡の作品は、その中のアジア現代美術のエリアに展示されるという。廃船が到着したら、すぐ日本からのボランティアスタッフが船体を組み立て、蔡が作品制作に入るのだという。
結局、コンテナは東海岸に直行するのではなく、西海岸に揚げ、大陸横断鉄道で東へ運ぶことになった。新たな物語の誕生を願って。 |