「なんて大きいスケールなんだ。しかも美しい。これが本当に、あの、いわきの砂浜に埋まっていた廃船なんだろうか」―。藤田忠平は、その作品を見上げながら感慨無量
になった。そして、これまでの蔡國強とのさまざまな思い出が、走馬燈のように頭の中を駆けめぐった。
今回の蔡の展覧会は、「トラベラー(旅人)」というタイトルがつけられている。それは中国、日本、アメリカと生活・活動の場を変えて作品を発表し続けている蔡自身にも当てはまるし、展示の核となっている、いわきからやって来た廃船だとも言える。
この船は遠い昔、サケやマスを追って厳寒のオホーツクを縫うように走り回り、役目を終えて海に解き放たれた船だった。それが海流の関係でいわきの砂浜に打ち上げられ、静かに眠っていた。それを蔡國強という中国人アーティストが着目し、掘り起こして新しい命を吹き込んだのだった。それは、10年前に無名だった蔡に協力し、展覧会やイベントを開いてくれた、いわきの友人たちと蔡との友情の証といえた。
船は、掘り起こされたうえに切断されて、コンテナに積まれた。当初はポーランドからアメリカのスミソニアンへ回る予定だったが、ポーランドの展覧会が中止になり、直接アメリカへ運ばれた。船便で海を渡って西海岸へ行き、アメリカ大陸を貨車で横断した。テロ対策で検査に時間がかかったこともあり、到着したのは開幕4日前だった。
いわきから駆けつけた9人は夜通しで組み立てにかかり、蔡の指示を受けて作品制作に取りかかった。いわきでは、海を表現するのにラップに包んだ塩を使ったが、スミソニアンでは蔡の故郷・中国福建省から取り寄せた、白磁器の破片が使われた。その中には観音像を壊した破片も含まれており、祈りのようなものも表現された。
展覧会が開かれているスミソニアン博物館群内は、ワシントンDCにある。町ができるときに、まず、このエリアの象徴ともいえる赤煉瓦の建物を造ったそうで、現在はリンカーン記念堂と国会議事堂の間の芝生公園(モール)の両側に16の美術館、博物館、動物園がある。国が直轄するスミソニアン財団の管理下にあり、イギリスの科学者ジェームス・スミソニアンの遺志に沿って寄付された資金をもとに財団が設立された。1846年のことだ。その収蔵品は1億6千万点を超えると言われており、どの施設も無料で公開されている。蔡の展覧会はサクラー両ギャラリーを使って行われており、来年の4月24日までというロングランだ。
蔡は展覧会のサブタイトルに「2003―2004 アンラッキーイヤー」とつけた。蔡にとって昨年から今年にかけては、不運なことが立て続けに起こった。企画が持ち込まれ、かなり準備が進んでいた、巨大プロジェクトがことごとく中止になったのだった。エッフェル塔の隣に火薬で同じ高さの塔を建てるイベントは、中国とフランスの国交50周年を記念して。さらに愛知万博、三菱地所…。図案まで示し、巨大な火の柱を立ち上がらせようとしたが、「爆発物は危険」など、さまざまな理由でボツになった。
29日のレセプションであいさつに立った際は、今の自分のスタートがいわきであることを話した。「だから本当は10年目の節目の展覧会はいわきでやりたかった」と。一貫して蔡を支え続け、人間同士のつきあいをしてきた志賀忠重もあいさつに立ち、10年前の
思い出を話した。
藤田は、そんな光景を見ながら、蔡と始めて会ったころのことを思い出していた。東京・板橋の4畳半一間の部屋、痩せこけているが目の奥に光があった中国人青年、そして魅力的な火薬画、油絵…。「トラベラー」。確かに自分たちは、蔡國強というスケールの大きい稀有なアーティストと時空を超えた旅をしているんだろう―。会場の隅でそんなことを思い浮かべていた。
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