444号 2021年8月31日 |
しなやかに抗い続けた詩人のことば
南相馬市の詩人、若松丈太郎さんが4月に亡くなってから、もっと若松さんのことを知りたいと思うようになった。静かさのなかにある怒りの源泉はなんなのか。何回かインタビューをしているのだが、いつも穏やかで、本当の心の内を明かすことはなかった。それもあって、書いたものを少しずつ紐解き、「人間・若松丈太郎」に近づく努力をしている。
初めて会ったのはいまから14年前の2007年(平成19)5月、南相馬市小高区出身の憲法学者・鈴木安蔵の取材がきっかけだった。若松さんは小高農工に勤務していたこと、町の雰囲気が自分の生まれ育った岩手県江刺郡岩谷堂町六日町(現在の奥州市)とよく似ていることもあって、小高という土地を愛した。
若松さんのふるさとは平安時代、大和政権の王化に染はなかった蝦夷の族長、阿弖流為が活動していた胆沢あたりで、信念を持って権力と対峙した人たちが多く出ている小高とは、共通性があった。
小高のそうした精神風土について若松さんは「明治政府に対する反発から自由民権運動への共感が生まれた。さらに小高教会の牧師が農民運動や政治活動へと導き、それらが積み重なって自由が育った。そんな空気が、さまざまな人物を生む土壌になったのではないか。鈴木安蔵の思想も、そうした地域で育まれたのだと思う」と説明した。
10歳の夏に戦争が終わり、教科書の墨塗りを体験した若松さんは中学生のときに金子光晴の「おっとせい」という詩のなかの「ただひとり、反対をむいてすましているやつ。おいら。」というフレーズに共感し、思い通りの生き方をめざすようになる。それは「だめなものはだめ」ということであり、理不尽なものに対してはしなやかに抗うということだった。あったことをなかったことにしようとする動きに対しては、ことばと行動で「NO!」を貫いた。
東北電力が自宅から15km先に「浪江・小高原発」を建設しようとしたときには反対集会や勉強会に顔を出し、チェルノブイリ原発を視察してチェルノブイリと福島県浜通りを重ね合わせた。そして事故は現実のものになり、自らも避難せざるを得なくなった。若松さんの詩の根幹にあるのは核廃絶であり、憲法9条を守って2度と戦争を起こさないことだった。その姿勢は決して揺らがず、現実を凝視し、想像力を持つことがいかに大事かを訴え続けた。
「わたしたちは、漂流し漂着する時代とそこに生きるわたしたち自身を、詩を書くことによって拾いあげようとしている」
寡黙だった若松さんは、詩で自らの思いをかたちにした。それは魂の記録であり、真実の証拠だった。
特集 こころの旅 若松丈太郎 |
南相馬市から詩や評論を通して非核、戦争反対を訴え続け、ことし4月に85歳で亡くなった若松丈太郎さんの人生や思いをまとめた。大学でともに学んだ妻・蓉子さんのはなしや交流のあった人たちの丈太郎さんとの思い出も書いてもらった。
子どものころ戦争があった
浪江・小高原発のこと
「神隠しされた街」のこと
避難民として
若松蓉子さんのはなし
丈太郎さんのこと
早坂 吉彦 その一途さと謙虚な考え方
長久保 鐘多 若松丈太郎先生の「思い出」
鈴木 比佐雄 若松丈太郎という大黒柱との対話は続く
記事 |
レクイエム
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連載 |
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コラム |
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