458号 2022年3月31日 |

原発事故後、大熊町からいわき市に避難していた佐藤祐禎さん(享年84)の第2歌集『再び還らず』(いりの舎)が出版された。
祐禎さんは福島第一原発から4㎞離れた大熊町小良浜高平で農業を営んできた。1号機の建設のころ、好奇心から少しの間、溶接の手伝いをして働き、ずさんな工事に疑念を持った。仕事に行くのをやめて物理の本を読み、原発に反対するようになり、思いを短歌に詠み始めた。
原発が来りて富めるわが町に
心貧しくなりたる多し
いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め
原子炉六基の白亜列なる
「原発の歌は私のこころの叫び」。祐禎さんは生前、そう言っていた。2004四年、第1歌集『青白き光』(短歌新聞社)を刊行。原発事故後、歌集はまさに予言の書となり、2011年の末にいりの舎から文庫化された。
事故後、祐禎さんは家族と平田村、勿来、東京、横浜と転々とし、3月末にいわき市内郷にアパートを借りた。郷ヶ丘に建設中だった家がもうすぐ完成するという2012年9月に倒れ、昏睡状態のまま翌年3月に亡くなった。
3月11日から日々、詠んでいた歌は3000首以上にもなっていた。そのなかから祐禎さんが主宰していた水流短歌会が中心になって約700首を選び、『再び還らず』が作られた。第2歌集の出版は、祐禎さんの希望でもあった。
原子炉ゆ放射能漏るとの放送に
算を乱して遠く避難す
ヨウ素またストロンチウム、セシウムと
聞きなれぬ語が飛び交ふ日々よ
廃棄物は地元処理だ?ふざけるな
最終処分場にさせてたまるか
東電も保安院もまた政府もなすすべもなし
今に至るまで
帰れずとすでに決めれば今更に
いふこともなし言いて何せむ
原発の歌など止めむと思ひつつ
書けばまたぞろ原発の歌
大熊に帰ると本気で思ひゐる人はなからむ
本音をいはば
月日とともに気持ちの揺れを感じ、終盤の歌は語気が弱く、自身を奮い立たせようとする姿も感じられる。
原発と国にたち向かふ気力なく
彼らのいふままに流されゆかむ
これは最後から2番目の歌。そして上記の歌で締めくくっている。
祐禎さんが亡くなって丸9年が過ぎた。いまの状況を空の上から眺め、どんな歌を詠んでいるのだろう。
日いち日桜のつぼみのふくらむを
見つつ行きゆく長き散歩路
特集 この11年 |
「この11年」の第3段。海沿いのまち、浪江町請戸で避難誘導中に津波に巻き込まれていまだに行方不明の渡辺潤也さんのこと、「3.11甲状腺がん子ども飢饉」の崎山比早子さんのはなしを特集した。そのには、それぞれの11年があり、震災・原発事故はまだ終わっていない、と言うことを教えてくれる。
渡辺 潤也さんのこと
野球が大好き
何があったのか
母の思い

3.11甲状腺がん子ども基金代表理事 崎山 比早子さんのはなし
NPO法人3.11甲状腺がん子ども基金のシンポジウムが3月20日に開かれ、代表理事の崎山比早子さんが「いま福島の甲状腺検査は」と題して講演した。崎山さんは福島県民健康調査の甲状腺検査が早期発見・治療に役立っていることを説明、過剰診断説にも疑問を呈した。講演の内容を紹介する。
甲状腺がんと放射性ヨウ素
放射能汚染と発がん率
ほんとうに過剰診断なのか
報告書「甲状腺がん当事者アンケート 105人の声」のこと

記事 |
七日町通りのはなし
中之作プロジェクトの「空き家セミナー4」の講師は、七日町通りまちなみ協議会(会津)の庄司裕さん。シャッター通りだった古い商店街を年間30万人が来る通りに変えた経緯を、具体的に話した。

「いわきPIT」が継続することに
「いわきPIT」(いわき市平字祢宜町)など東北を中心に4つのホールを運営してきた「一般社団法人チームスマイル」の活動が、今年いっぱいで終わる。それに伴い、いわき、仙台、釜石のPITは3月いっぱい、東京の豊洲PITは今年中にチームスマイルとしての運営を終了することになる。いわきPITは地主である真砂不動産に建物が無償譲渡され、4月以降は同じ名称のまま、運営が引き継がれる。

コールサック社刊。A5判ハードカバーで限定1000部発行。
3巻セットが税込み11000円。
1巻が4400円、2巻と3巻が3300円。

アンテナいわき
「かすみ草 令和元年東日本台風―未来への教科書」のこと

連載 |
時空さんぽ 再び 〜磐城平城を訪ねて(24)
其の二十二 搦手
阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(55)ハイネズ
ひとりぼっちのあいつ(35) 新妻 和之
教えることは学ぶこと②
ぼくの天文台 粥塚伯正余話(14)
こだわりの食
コラム |
月刊Chronicle 安竜 昌弘
若隆景のこと
わくわくしながら若隆景の相撲を見る 醸し出している昭和の力士の匂い