第478号

478号
2023年1月31日
 「原子力戦争」のロケ地になった神白海岸のいま 埋まっている船は一隻もない 2023.1.18

    失われてしまった風景を求めて歩く

「いわきの海岸線を歩く」の取材で江名の町に入り、ある家の前に立ってチャイムを鳴らした。田村家。海の近くにあるモダンでしっかりとした建物で、50年ほど前に建てられたという。1977年(昭和52)の夏、この家で「原子力戦争―LOST  LOVE」の撮影が行われた。原作は田原総一朗さんのドキュメント・ノベル。かつて原発のPR映画を撮った黒木和雄監督が、罪滅ぼしの思いを込めて原発の闇に鋭く切り込んだ問題作だ。

 砂浜に男女の心中死体があがる。エリート原発技師と地元の有力者の娘。娘は東京でソープ嬢をしていて、そのヒモのヤクザ(原田芳雄)が消息を求めて町にやって来る。ヤクザは通信部に飛ばされた新聞記者(佐藤慶)と組んで真相を突き止めようとするのだが、見えてきたのは、原発の重大事故を隠蔽しようとする大きな力だった。
 封切られたのは、震災の33年前。当時、福島県内には第一原発しかなく1〜3号機が稼働していた。映画はほとんど評判になることもなく忘れ去られていたが、2011年の震災・原発事故、さらに主演の原田がこの年に逝ってしまったことで追悼特集が組まれ、脚光を浴びることになる。映画では、撮影クルーが原発の正門前で守衛ともみ合うシーンが入っていて、監督の意気込みが見える。
 印象深いシーンがある。深刻な原発事故を追う佐藤が、安保まっさかりののころ、夢を抱いて一緒に記者になった支局長(戸浦六宏)から「燃料棒の欠損ではなく、これまでにもあった配管のひび割れにしたらどうか。沸騰水型原発の事故が記事になると、わが社が加圧水型原子炉のメーカーに加担していると思われてしまう」と待ったをかけられるのだ。そのやりとりから、国、東電、メディアの切っても切れない関係が透けて見える。
 「原子力戦争」のロケは小名浜、江名、中之作、新舞子、内郷などで行われた。その架空の町は基幹産業だった炭鉱が閉山に追い込まれ、遠洋漁業も200カイリ問題で苦しめられている。町にとって原発は救いの神といえた。事故を隠すために土地のヤクザを使い、嗅ぎ回っている原田を東京に帰そうとする。心中も原発を守るために町ぐるみで企てたものだった。

 震災の年に川本三郎さん(評論家)と海岸線を北上したことがある。小名浜から中之作、江名と車で走ってきて田村家の前にさしかかったときに、「原子力戦争に出てきた有力者の家ですね。まったくそのままです」と言った。川本さんはその少し前、ある雑誌にこの映画を紹介する原稿を書いたら「刺激が強すぎるので」と掲載を断られた。長く続いた連載だったが、抗議の意思を示すため、それ限りにしたという。
 田村家から出てきたのは55歳の女性だった。当時は10歳。映画にもエキストラとして出演したそうで、撮影のときはメイクさんが部屋を使っていた。原田やこの家の娘役だった風吹ジュンと会うことができた、と懐かしそうに話してくれた。
 今回、ロケ地をめぐってみて、残っているのは田村家ぐらいであることがわかった。それもあって、フイルムに残るかつての風景がいとおしい。


 特集 いわきの海岸線を歩く 2 

特集の第2弾は江名から折戸、中之作を通って永崎、下神白まで。江名と中之作はかつて遠洋漁業の基地だったが、いまやその面影はない。18日と20日、その周辺を歩き、映画「原子力戦争」(黒木和雄監督・1978年)のロケ地をめぐりながら、さまざまな人に話を聞いた。

映画「原子力戦争―Lost Love」のロケ地をめぐる
原田芳雄、佐藤慶、山口小夜子、風吹ジュンなどが出演した映 画の懐かしい風景を、たどった。
江名の商店街
坂本隆幸さんのはなし

折戸と中之作の港周辺

永崎海岸

 記事

小出裕章さんのはなし

元京都大学原子炉実験所助教の小出さんが「原発汚染水はなぜ流してはならないのか」と題して講演した。海洋放出と日本の原子力政策に焦点を絞って紹介する。

小出さんへの質問
新地町の漁師 小野春雄さんのはなし 



 連載

戸惑いと嘘(92) 内山田 康
遠くから島を振り返る⑥


阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(73)ヤダケ


パンドーラーの箱(10) 福島の海から考える 天野 光 
燃料デブリ中プルトニウムの海洋放出

 コラム

ストリートオルガン(178) 大越 章子

ウクライナ国立バレエ
舞台から黙して伝え続ける