第490号

490号
2023年7月31日
中西好信さんが大切にしている土井晩翠からの礼状。晩翠は日本画を習い、よく観音像を描いていた

 

土井晩翠からの礼状

 いわき市で暮らす中西好信さん(98)がアルバムに大切に保管しているものがある。好信さんの父親の好蔵さん宛ての、詩人で英米文学者の土井晩翠からのはがき。消印は昭和12年7月12日で、表に宛名と相馬野馬追でのお礼が綴られ、裏には観音像が描かれている。
 当時、好蔵さんは双葉郡大堀村田尻耕地整理組合の事務局長をしていて、相馬地方で夏に行われている相馬野馬追に晩翠を招いたようだ。大堀村田尻は現在の浪江町田尻。昭和五年に耕地整理組合が設立され、翌年から山林を切り開いて根株を掘りおこし、土を運ぶという開墾事業が始まった。
 『浪江町近代百年史』(第二集)によると、晩翠は昭和10年から14年にかけて少なくとも5回、浪江を訪れている。東京の郁文館中学で教鞭をとっていた時の教え子で、大堀村の有力者となり開墾事業の世話係もしていた星卓爾が、昭和7年と8年に長女、長男を立て続けに亡くして傷心の晩翠を招待したのがきっかけだった。
 3回目の訪問の際、晩翠は開墾が進められていた田尻の水田も見学して、歌を詠んでいる。

 田尻原拓きて稲の八束穂の
 みのりをみるぞうれしかりける

 昭和14年、8年に及ぶ開墾事業が終わって80町歩(約80 ha)の水田が完成し、組合事務所前で竣工式が行われた。その時、晩翠の歌を染め抜いた紫の風呂敷が記念品として関係者に配られた。好信さんのアルバムにはその風呂敷や開墾作業の写真とともに、事業の途中で起きた土砂崩れのことも綴られている。

 日本拓殖会社の社員だった好蔵さんは大正11年、ほかの5人の社員とともに相馬の新沼浦の干拓工事にかかわり、幾世橋村(現在の浪江町北東部)出身の県議会議員の紹介で、田尻開墾事業の責任者に招かれた。
 一人っ子の好信さんは相馬で生まれ、尋常小学校に入学する時に大堀村田尻に移り、東京の大学で学んだ時期を除いて、田尻で暮らしてきた。原発事故後、福島市、そして山形の南陽市、それから二本松市に避難し、10年ほど前からいわき市で暮らし、いまは妻の愛子さん(95)と住居型の高齢者施設で生活している。
 大堀はいまもごく一部分以外は帰還困難区域のままだが、田尻は2017年(平成29)に避難指示が解除になった。しかし、住民はほとんど戻っていない。


 特集 一枚の礼状から  土井晩翠のはなし

いわき市で暮らす中西好信さん(98)が大切に保管している英文学者・土井晩翠からのはがき。それは、大堀村田尻地区(現在の浪江町)の開墾事業の責任者だった好信さんの父・好蔵さん、そして浪江と晩翠との交流を表すもの。「荒城の月」の作詞者としても知られる晩翠の人生を振り返りながら、晩翠の浪江町への訪問や好蔵さんのことなどを紹介する。

漢文調で力強い詩。外国文学も翻訳する
つちい質店の長男
和製英語のバンスイさん

空襲で屋敷と3万冊の蔵書を失う
「つちい」から「どい」に
晩翠草堂

戊辰戦争の悲劇を思いながら
「荒城の月」のこと

藤村と「藤晩時代」を築く
詩人として

依頼があれば快諾
校歌のこと

橋の渡り初めに祝いの歌を詠む
土井晩翠と浪江町

田尻を開墾し、その地に生きる
中西好蔵さんのこと

 記事

「海の日アクション2023」と「福島円卓会議」で出た意見

福島第一原発の敷地内のタンクにためているトリチウムを含む汚染水の海洋放出を政府がこの夏に予定しているなか、2つの催しが行われた。そこでのさまざまな意見を紹介する。

なにがおこるかわからない
東京大学名誉教授 鈴木譲さん

海に入れられない
小名浜地区労働組合協議会議長 田久祐一郎さん



鎮魂歌 なんのための練習なのかを問い続ける
元高校教諭 野球指導者 相原登司輔さん 享年75

 連載

阿武隈山地の万葉植物 湯澤 陽一
(84)ノイバラ


パンドーラーの箱(16) 福島の海から考える 天野 光 
トリチウムの生物影響90の海洋放出


木漏れ日随想(3)佐藤 晟雄
私の夢の朗読会

 コラム

ストリートオルガン(182) 大越 章子

ベニシアさんのおくりもの
自然にやさしく心地いい楽しい暮らし