草木台を走っていたら、それぞれの区画の隅にソメイヨシノが1本ずつ植えられていた。どれもまだ若木だが、みんな一人前に花を咲かせている。何年か経ったら木が生長して、あたり一面が薄ピンクの靄がかかっているようになることだろう。いいアイデアだな、と思った。
10年以上前、猫の額ほどしかない庭にソメイヨシノの苗木を植えたことがある。「木が大きくなったら、だれにも邪魔されずに花見ができる」と1人悦に入っていたら、家族から猛反対を食らった。サクラはすぐ大きくなるので始末に負えなくなる。隣の敷地に枝がかかったときのことを考えずに勝手なことをして、と言うのだ。
「でも植えてしまったし…」。頭を抱えながら苗木を掘り起こし、近くにある集会所の一角に植え直した。夏から秋にかけてのころだった。するとサクラは葉を落とし、すぐ枯れてしまった。ところが、どっこいサクラは生きていた。春が近づくにつれて芽を吹き、葉が出始めたのだ。そして毎年のように美しい花をつけるようになった。年輪を増やしたそのサクラは信じられないほど大きくなり、結局は家族の先見の明に軍配が上がったのだった。
ダムに沈んだ村の象徴として移植した岐阜・高山の荘川桜ほどではないが、どこのサクラにもさまざまなストーリーがある。
サクラの季節になると毎年、サクラ巡りをする。小川諏訪神社のシダレザクラ、磐城桜が丘高校のサクラ並木、新川土手のサクラ、平松ヶ岡公園のサクラ、泉下川のみなと公園のサクラ、田人の石割桜、そして家の近くのトンネルの上に凛と咲く白いヤマザクラ…。
どのサクラも四季を隔て樹齢を重ねて、いつもの場所に存在していただけなのだが、それぞれのサクラには訪れた人たちの人生やかけがえのない想い出、物語が無数に渦巻いていて、その美しさをさらに輝かせてくれている。
いわき市内では平地のサクラがほぼ終わり、これから田人や三和のサクラが見ごろを迎える。
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