県や市の教育委員として、その重責を果たし、教育行政の発展に寄与されたこと、観光や地域づくりの分野で大きな働きをされたこと、さらには、地域文化や学術の振興に向けた素晴らしい仕事をされたこと…、里見さんの事績は著しく膨大で、1人の人間が68年という半生のなかで為し得たものだとは、すぐには信じ難い。
ところで、私と里見さんの付き合いは26年に及ぶ。その歳月の間には、さまざまなやりとりがあった。
蓬来信勇先生が中心になって発行していた雑誌『6号線』が廃刊になり、新しく雑誌『うえいぶ』が創刊されたが、その運営や編集作業のなかで、里見さんは折りに触れ、「いわきには山村暮鳥の時代から、文芸誌とか、雑誌の伝統があるんだ」と、口にされていた。
いわき地域学会という学際的な地域研究の会を仲間たちとともに立ち上げ、その会の初代の代表幹事を務められた里見さんは、「後の世の人たちのために、地域の正確な記録を残さなければならない」という課題を自らに、そして、私たちに課されていた。
平成12(2000)年、里見さんは自身の随筆集『地域の時代へ』を出版された。そこには里見さんが若い頃に執筆された文章も数編、所収されていた。
「青春ですね、若々しいですね、青いですね」と、私が多少の揶揄を交えて、それらについて触れると、里見さんは、「今でもそうだ。思いは若い頃のままだ」と、わずかにはにかみを浮かべながら答えられた。
里見さんはいつも手帳を携帯し、そこにスケジュールなどを書き込んでおられた。遠目から見ても、どのページにもビッシリと書き込みがされていることが窺えた。
「そんなに書き込みがいっぱいで、わからなくなることはないのですか?」と、尋ねると、「大丈夫」と、里見さんは答え、手帳のページを開き、私に見せてくれた。そこには黒や赤、青のボールペンで書かれたたくさんの文字があった。
「下手な字ですね、ちょっとやそっとでは読めませんね」 と、私が率直なコメントを述べると、里見さんは、「俺は読める」と、短く言われた。
ところで、これらのやりとりのなかには、里見さんの生き方やものの考え方の根本を知る手掛かりが含まれていた。そして、それと同時に、そこには里見さんが私に残してくれた大事な教えも含まれていた。
先人の思いを大切にすること。
後の世の人たちのことを考えること。
志や夢を持ち続けること。
字は下手でいいこと。
しかし、これらのうち、私にきちんと実践が出来ているのは、恥ずかしながら、最後の「字は下手でいいこと」という教えだけである。
ところで、字が下手だったというのは、里見さんの悪いところだと思っていたが、今、こうして里見さんのことを思い返していると、それが懐かしくてたまらない。
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