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 取材が終わったあとだった。「私の略歴などいろいろ聞きましたけど、ご勘弁願いたい。肩書きにこだわるのは日本の悪いところです。どこのだれだろうが、そんなことは関係ない。要は人間そのものでしょう」と、言われた。そう思う。
 星一の顕彰記念碑をドイツ政府から贈られることになり、にわかに「時の人」となった。記念碑の除幕式では開会のあいさつをまかされ、「大地震の震源地はわたしです」から始まって、ドイツから空輸された記念碑を引き取りに行った際の税関職員の不手際を暴露し、「まさに『人民は弱し官吏は強し』だ」と語った。日本流の価値観なら「場をわきまえないで」となるのだろうが、歯に衣着せぬ物言いで実に爽快。星一の胸像も微笑んでいた。

 父の仕事の関係で生まれは福島市だが、横浜で育った。慶応大ではヨット部に所属していた。ドイツとのきっかけは東京ヒルトンホテルに勤めたことだった。そこでフロントや経理、VIPの世話係などをしてベルリンのヒルトンホテルに転勤になった。その後、商社の丸紅飯田が東欧に拠点を置くことになり、ドイツ語の腕を買われて東ベルリンの支店に誘われた。担当は東ドイツ。共産圏では人間関係、信頼がすべてだった。品物はプラント、機械、化学製品と、なんでも扱った。
 東京とドイツを行ったり来たりしているうちにベルリンの壁の崩壊に居合わせ、メディアから取材を受けた。すっかりドイツとの縁が深くなり、退職後もドイツと関わることが多くなった。50歳から70歳までの20年間は、1年のほとんどがドイツとスペインという生活だった。
 70を過ぎ、「そろそろドイツとスペインの生活をドイツと日本にしよう」と思った。横浜にマンションがあるのだが、周りが騒々しい。人間も車も多くて自分が育ったまちとは違う。それで別荘を探し始めた。「いわきは東北の湘南と呼ばれているんですよ」という話を聞いて訪ねてみた。2日間滞在し、不動産業者の車で三崎公園近くの家の前を通った瞬間、高台から海が見える風景に魅せられて即決した。食べ物も美味かった。
 一昨年の10月から半年いわき、残りはドイツの生活が始まった。まちのことを知ろうと「フラオンパク」に参加し、星一がいわき出身であることを初めて知った。ドイツでは恩人として有名だが、いわきの人は星がドイツに多額の寄付をしたことを知らない。驚きだった。
 「星一はドイツと縁もゆかりもなかったのに、第一次大戦に敗れて打ちひしがれていたドイツに7年間にわたって20億円を超える金を寄付した。その精神をいわきの人たちに知ってもらいたい」と思った。そこからの行動が早かった。これまでの人脈を駆使してドイツ政府に働きかけ、ブロンズ製の記念碑を贈ってもらうことになった。
 「自分からドイツを取ったら何もない」と言うほどドイツが染みついている。「ドイツ人は相手にとって不足はない。敵に回しても、友だちにしても、スタッフにしてもね。打ったら響いてくる。どんな人間でも一家言を持っている。でも日本人は自分の意見を言わないし、持たない。ノンポリですな。ただ、ドイツの食べ物だけは今ひとつです。それに比べて、いわきの魚は本当に美味い」。ドイツのことになると話が止まらない。

 来年は、安藤信正がプロイセンの公使と日独修好条約を結んで150年。明治時代の官費留学は3分の2がドイツだった。「これを機会にいわきの人たちにドイツのことを知ってもらいたい」と思っている。



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