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「大草原の小さな家みたい」。大久町のその道路を通るたびに思い、どんな人たちが住んでいるのかを想像していた。先日、思いきって家を訪ね、ドアをノックした。玄関から出てきたのは渡邉政光さん(62)と和井さん(59)夫妻。「もう住んで15年になりますよ」と、家のはなしをしてくれた。
政光さんは雑誌でログハウスを見て、実際に丸太で建てられた家を眺めて圧倒され、いつしか「自分でログハウスを建てたい」と思うようになった。ひそかにチェーンソーなど道具を少しずつ買いそろえ、休日には子どもたちを連れてログハウスを見て回り、さり気なくその魅力を伝えていた。
しかし和井さんの反対に遭い、夢は暗礁に乗りあげた。反対は五年ほど続き、政光さんは「山のなかでもいいから建てたい」と思うようになっていた。そんなある日、和井さんは「人間は一生のうちで一度でも好きなことができたら、しあわせな一生を送れる」という言葉に出合った。
「あの人はこれまで、好きなことをしたことがあるかしら」。和井さんは思った。短期のログハウススクールにも通
った政光さん。建てたい気持ちは本物で、和井さんが折れた。
政光さんは勤めていたクレーンのリース会社を平成元年末に辞め、年明けから和井さんが生まれ育った大久町小久にログハウス造りを始めた。
直径30センチ、長さ8メートルのアメリカ産の松を選木してもらい、まずトラック1台分を買った。これで後には引けなくなった。「完成するまで投げ出せない」。政光さんは平日は1人黙々と、土、日曜日には仲間たちに手伝ってもらい、完成を夢みながら体を動かした。
丸太の皮をドローナイフで剥いで、曲面カンナで削る。それから丸太の両端を紐で引っぱり、クレーンを運転しながら丸太を積んでいく。1人でやると、2人より3、4倍の時間がかかり、「だれか来ないかなぁ」と前の道を眺めることもしばしばだった。
二階建ての70坪ほどの家。丸太の組を一段上げるのに約1カ月かかる。日曜日には和井さんが見に来て、「まだ、そこなの」と言うぐらい、作業の進みはよくわからなかった。2、3段まで組むと、あとは同じことの繰り返しで、根気が必要だった。子どもたちに親父の背中を見せたい一心で、ただひたすら頑張った。
1階部分を積み上げてからは、毎晩のように近くの大工さんの家に行き、「ここはどうするの」と聞いた。大工さんは頭のなかで描けても、素人の政光さんには難しく、模型を作ってイメージを膨らませた。建て始めて4年ほどでようやく屋根が上がり、瓦は本職にお願いした。
屋根ができた後、政光さんはクレーンのリース業を自分で始め、仕事の合間や休日に床はりなど家族五人が暮らせるように家造りを進めた。「300万円ぐらい」と話していた建設費用は、次々と請求書が舞い込み、かなりの金額になった。建て始めから5年を経て、政光さんは家族とログハウスに引っ越した。
子どもが小さかったこともあり、オープンスペースを心がけた。リビングは20畳ほどの広さで、天井まで吹き抜け。2階はほとんど壁を設けず、リビングから子どもたちに目が届くようにした。壁どころか手すりもないため、越してきたばかりのころに、1番下の子どもが2階から落ちたこともあった。
開放感のある家で、夏は涼しく冬は暖かい。リビングの薪ストーブは年間に4トンの薪を使う。壁が平らでないから実際の広さより狭く見えるが、完成時のお披露目には親戚
が40人ほど集まっても十分だった。
15年経っても、壁にはまだクロスがはっていなく、天井もむき出して、ベランダもない。進化させようという気持ちはあるが、なかなか進まない。それでもいま、リビングの前にデッキを出す準備をしている。
「わたしもログハウスを自分で建てたいんですが」と相談されると、「プロに頼んだ方がいいよ」と、政光さんはかつて自分が周りから言われた言葉を返す。「やめた方がいい。1人でやるものではないよ」と。でも、自分で造った家はより愛着を感じる。
ジャズ好きの政光さんは、リビングに欲しかったJBLのスピーカーを置いた。スピーカーがやって来た晩、その前で1人、祝杯をあげた。ログハウスそばの田んぼでは、有機無農薬で米も作っている。
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