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 渡された名刺に「陶芸 近藤学」と記されている。住所はいわき市江畑町塙、そのわきにカッコ書きで、双葉郡浪江町大堀とある。大堀相馬焼の窯元に生まれ、3.11の震災まで、浪江町大堀で作陶を続けてきた。
  震災の日も工場で、ここ五年ほど挑んでいる象嵌の作品を作っていた。象嵌とは文様を線彫りや地彫りして、そこに色土を埋めて表現する装飾技法。根気と手間のかかる技法で、味わい深い文様ができる。
  近藤さんは姉と妹に挟まれた3人兄弟の長男で、家業を継ぐのが当然の存在だった。しかし子ども心に感じるものがあったという。当時、窯元は問屋にしきられ、注文を受けて大量 生産し、価格が低く抑えられていた。その仕事に何も面白さを感じなかった。
  プロ野球の選手になるのが夢だった。中学、高校と野球に夢中になり、双葉高校3年生の夏、2回戦で元プロ野球選手の中畑清さんのチームと戦い、ベスト8まで勝ち上がった。この年の勝者は磐城高校で、甲子園で準優勝した。
  東京の私立大学に合格したものの、そこには行きたくなくて自宅浪人し、昼間は家業を手伝った。「東京だけに野球の強い大学があるんじゃない」と高校の体育の先生にアドバイスされ、翌年、東北学院に入学した。1年生の秋からベンチ入りし、4年生では四番を打った。
  大学4年生、神宮の出場を決める大会で、初めて父が試合を見に来た。息子が大活躍している姿に、父は「故郷には戻ってこないだろう」と思ったという。もしかしたら、社会人野球の道もあったのかもしれない。でも、近藤さんは自分で野球に見切りをつけた。
  サラリーマンになるつもりはなかった。故郷に帰り、実家での焼き物修行が始まった。窯元の長男とは言え、焼き物についてはずぶの素人。職人の技を見て学び、片っ端から専門書を読みあさった。
  300年以上の歴史がある大堀相馬焼。幕末には100軒以上の窯元があった。その後、窯元の数は減り、最近は20数軒になっていた。相馬市に相馬駒焼があるが、これは相馬藩時代のお殿さまお抱えの窯元で、大堀相馬焼と区別 される。
  大堀相馬焼というと、まっ先にひびと馬の絵の焼き物をイメージする。しかしそれは戦後に作られ始めた焼き物で、8八割は輸出向けだった。輸出が止まった後、国内にも流通 するようになったという。
  近藤さんは常に高いところを目指す。日展などに出品して、直接、全国のいいものを目のあたりにし、自身の技術、精神性を見つめる。そして「まだまだ」と、自分を叱咤激励して精進させる。象嵌もそうで、この技法を使ってどこまでできるか、どう自分のものにできるのかに挑戦している。
 骨太さと繊細さを併せ持った近藤さんの作品。浅緑など色彩も美しい。妥協を許さず、真っ正面 から向き合う姿勢が伝わってくる。相馬野馬追いを思い起こさせる陶板作品があるが、とてもいい。
  3月11日、地震が起きた時、近藤さんはテーブルに上がって、作品が並ぶ棚を押さえた。しかし揺れは長く強く、その場から離れざるを得なかった。それは手間暇かけて作った作品を見捨てることにもなった。いまその時を思い出しても、心がざわつく。後ろ髪を引かれる思いで工場を出ると、背後から作品の落ちる音がした。
  店の棚にあった焼き物もすべて下に落ちた。揺れは収まっても余震が続き、その晩、近藤さんは奥さんと車で寝た。翌朝、10キロ圏内の避難を呼びかける防災無線が響き、周りの人々はだれもいなくなった。
  近藤さん夫妻は避難せず、工場や自宅の状況を見て回った。焼き物はさんざんで屋根瓦も落ちていたが、窯は無事で、片づければ何とかなりそうだった。片づけるしかない。そう思った矢先、ドンと爆発音が聞こえた。福島第一原発1号機の水蒸気爆発。外に出たら煙が見えた。
  その夜、避難区域は20キロ圏内に拡大され、さすがに近藤さん夫妻も福島市の妹のところに避難した。数日で帰れるだろうと、近藤さんは免許証と携帯電話、老眼鏡しか持たなかった。しかし1週間経っても、浪江町に帰れそうになかった。
  知人やお客さんが「こっちに来たら」と言ってくれた。そのなかの1人、いわき市植田町のお客さんの家に2カ月、世話になった。そして江畑町塙の作陶場も隣接する日本家屋を見つけ、借りることができた。5月末に引っ越しし、6月から仕事を始めた。
  浪江町にはこれまで、4、5回帰っている。家屋は外観に真っ赤なさびが出て、徐々に痛んできているのがわかる。庭は草が伸び、見るに忍びない。「もう来たくない」と思うこともある。線量 はいまも20μSv〜30μSvある。
  除染してどうなるものかと考える。避難を余儀なくされている人々が住みやすい、自分の環境をつくれるような手立て、補償が必要という。20数軒あった窯元も、自分の窯で仕事を始めているのは、近藤さんともう1軒しかない。
  でも仕事については、原発事故のせいにはしたくない。作品に物語も加えたくない。作家は作ったもので勝負だから。



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