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 内郷支所の2階に、内郷の歴代市町村長の写真が並んでいる。昭和41年のいわき市誕生までずらり12人。その11番目に沼田一夫さん(故人)がいる。戦後から昭和30年代後半の内郷の様子を知りたくて、図書館で借りた『内郷郷土史』をめくっていてその名にふれ、興味がわいた。

 明治41年生まれ。東北帝国大学法科を卒業後、満州国大学大学院に進み、修了後、満州国の役人になり、終戦時は上海総領事だった。戦後、故郷の内郷町に戻り、4カ月ほど町長代理助役になって、経済安定本部調査官を経験し、昭和26年に内郷町長に初当選して、40年11月に57歳で亡くなるまで内郷町長・市長を務めた。
 すでにエネルギー革命が近づきつつあることを察知して、次々と都市づくりのアイデアを出して実行し、内郷を炭砿のまちからベッドタウンのまちへと転換した。市政施行に伴い、綴駅を内郷駅と改称し、団地の造成や区画整理、住宅の建設を進め、人々の暮らしに必要な塵芥焼却施設、火葬場、し尿化学処理場なども造った。
 開院間もない磐城共立病院の近くに福島労災病院を誘致し、炭砿の廃湯を利用した内郷ヘルスセンター、公会堂、酪農振興を推進するために市営牛乳処理所を建てた。シイタケ栽培や金魚の原種保存、ニジマスの養殖、採石山を購入しての石売りなど、特産品づくりにも力を入れ、青少年のための奨学金制度を設け、授産所や、行政では珍しい市営の質屋もつくった。
 選挙の際には「常磐地方がこれから活性化していくには14市町村を合併していかなければならない」と演説し、早くから市町村合併を唱えたという。合併が現実のものとなった時、内郷市民も、本人も合併後の市長にと考えていたが、合併する10カ月前に帰らぬ 人となった。

 亡くなってすでに44年、沼田さんとじかに接し、その人となりをよく知る人はあまりいない。知っている人たちに聞くと、常磐炭砿が斜陽に向かった時代に新しいまちのあり方を探り、身を粉にして奔走した沼田さんの姿が浮かぶ。




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