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 内郷町時代から40年近く役所勤めをしたんですが、機会あるごとに沼田市長のことを思い出します。新聞を見ても「こんなとき、沼田市長さんだったらどうしたんだろう」ってね。一年中頭から離れません。それほど、印象深い人でした。
 昭和27年に内郷町役場に入って、総務課の庶務係に配属になりました。沼田町長はその前の年から町長を務めていたので、本当にずっと近くで仕えていた、という感じです。内郷はそのあと、町から市になったんですが、市長は身を粉にして働いていました。夜も昼も働いて、「今度は何を考えるんだろう」と思うほど、次から次へと新しいことを始めました。発想が豊かなうえに手づるも広い。だから職員はついていくのが大変で、とても忙しかったですね。
 超過勤務が1カ月に100時間というのは普通でした。わたしもよく仕事を家に持ち帰りました。産休を取って3日目に子どもが産まれたほどです。あのころは、ギリギリまで働いていたんですよね。
 でも、職員はみんな市長を好きでした。仕事には厳しかったけど、とっても愉快な人なんです。よく職員を笑わせていました。そのころ100人ぐらい職員がいたんですが、市長は本人だけではなく親のことまでよく知っていましてね。役所全体が家族のような感じでした。
 職員の家の年寄りが病気になったときには公用車を差し向けて病院に運んだことがあります。いまだから言えますが、交際費を何百万も削って職員に分けたこともあります。そのときには「税金に引っかからないようにしてやってくれ」と言いました。本当に職員をかわいがっていました。だからこそ、みんな「市長のためなら」と一束になって仕事をしたんでしょうね。
 ある日、「寿子さん、僕の手帖に市の財政データを書いておいてくれ」と言われたことがあります。大きめの手帖です。ふと見ると、春日八郎の「別れの一本杉」の歌詞が書いてありました。宴会ででも歌ったんでしょうね。余興でする手ぬぐいの芸も垢抜けていました。おしゃれでスマートな人でした。
 女性に対する考え方も進んでいました。わたしが結婚するときに「辞める、って言わなくていいんだよ。これからの時代は女性が結婚しても働く時代になる。その手本を見せるのが役所だから。働きなさい」と言いました。
 また東京出張から帰ってくると「こんど農林省の女性官吏に講演してもらうことにした。テーマは農家の生活改善。国の指針を持っている人だから仕事に差し障りのない人は聞くように」と言ったんです。農家の女性たちのことも考えていたんですね。

 晩年は肺を悪くして入院しました。何回か見舞いや世話のためにうかがったんですが、良くなったり悪くなったりで…。つらかったですね。合併推進派で、いわき市長になるつもりでした。つねに大きいいわきを見据えて、全国の各都市と競争しても負けないまちにすること考えていました。早いうちから「石炭は無限にある資源ではない」と言い、脱炭砿のためにさまざまな手を打っていました。
 手元に沼田市長から頂いた財布があります。奥さんに買わせたのではなく、出張の帰りか何かにご自身で買ったようです。それぐらい、部下への心配りのある人でした。それを見るたびに、人を使うというのは上手に使うことなんだな、とあらためて思います。




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