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画家 田口 安男  


 1945年、日本の敗戦という破局があって、新聞の論調は一夜にして激変した。鬼畜米英、一億玉砕のスローガンはかききえて、平和国家、文化国家、民主主義など、初めて見る4文字があふれ出た。
 私は旧制中学の3年、稲川さんは1年下の学年だった。半年前の先生たちの言動、その責任を授業中に糾弾したり、行き場のない元気に溢れていた。中学が新制の高校に変わったころ、稲川さんが図画室で絵を描くグループに加わった。
 図画室前の廊下に大きな姿見があって、稲川さんはパンツひとつになって等身大の自画像を描いていた。肩巾が広く、腰にかけて細く締まった逆三角形の裸体。鼻、頤は鋭角の造型だ。その姿は私の記憶の中で、ブルーデルの弓を引くヘラクレスのブロンズ像と重なってしまっている。いま、上野公園、西洋美術館の庭でヘラクレス像を見ることができるけれど、そのころの私は、ロダンに続く、このブルーデルの名を知らなかった。
 図画室の隣りが準備室で、板戸の節穴からのぞくと、柴田善登先生の絵が重ねてあり、衝立にセザンヌの色刷りがはってある。その布のかたちはセザンヌ描くサン・ウィクトワール山の形そっくりなので、びっくりして眺めていた。欲しかった。数年前――50年以上もたってからということだが――そのことを稲川さんに話題にした。「あれ、オレ、かっぱらったんだ」。稲川さんの高笑い。しまった。おくれをとっていたと思うしかなかった。戦争前、外国製の色刷りは贅沢で重く輝いて見えていた。
 ここには書いておかなければいけないのかなと思うことがある――高月台に近く、八幡様の茂みで、目当ての女学生が通るのを、稲川さんと2人で待っていた。遠くに姿をとらえながら後を付ける。何キロ歩いたろう。ただそれだけのこと。今なら、人呼んでストーカー。2人のどちらにとってのお目当てだったのか。日本語は主語など、はっきりさせなくてもいいようなもの……。このままとする。
 あの頃、新聞に「愛する」なんて言葉がはじめて出現した。こんな3文字の活字をみただけでしびれるような感覚に襲われた。そんな時代の中にいた。
 稲川さんの油彩に見る、暗く深く、画面の奥に入ってゆこうとするそれを培ったのは、敗戦直後の、いわきの風土だ。私がそれを知っている。
 擱筆。合掌。




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