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プロフィール
あいはら・としすけ 1947年生まれ 磐城高時代は甲子園出場に王手をかけたが、宿敵・福島商に大敗。監督になってからも、もう一歩及ばず「悲運の名将」と呼ばれることが多かった。しかし平成6年夏、双葉を率いて甲子園出場を果 たし、大舞台で一勝を挙げた。高校で教えているのは化学。

 「夏」へ向かっての高校野球がスタートし、春季東北地区高校野球県大会(16日からいわき市)に出場する30校が決まった。いわきを制したのは15年ぶりに古巣に戻った、相原登司輔監督率いる勿来工。4試合で失点1という見事な戦いぶりだった。「この学校ではやり残したことがある」と語る相原さん。その高校野球観などについて聞いた。

 

■ 受け継がれていた心

 好間から勿来工への転勤が決まって、練習試合を何回か見た。前任者(鈴木茂さん・現平工)が自分の教え子なので、選手たちは孫みたいなもの。野球の心などがきちんと受け継がれている、と思った。だから違和感はなかった。ただ、生徒たちは戦々恐々としていたようだ。
 このチームは去年の秋の新人戦でも地区で優勝している。しかし、県大会は初戦敗退。失点が目立っていた。監督就任後、3人の投手にはオリジナル器具を使っての基礎トレーニングを中心に練習させた。言ってみれば、投げる筋力づくり。目標はあくまで夏に置いているので、現時点でもフォームづくりはするが投げ込みはさせていない。でも、春の地区大会では、いい投球をしてくれた。
 勿来工には昭和49年から63年まで14年間いた。中でも思い出したくないのが、昭和53年夏のこと。このチームは秋、春と県を制し、夏は第1シードだった。しかし、準決勝で思わぬ敗戦を喫した。8回裏2死まで5-1とリードしていたのに、1塁手の失策をきっかけに追いつかれ、最終的にはサヨナラ負け。技術的には優れていたが何かが足りなかった。それは、気持ちというかハートだと思う。心のどこかに気の緩みというか隙があり、それが大事なところで出てしまった。本当にいい勉強をさせてもらった。

■ 変わることも必要

 高校野球の指導者をやって30年以上になる。思えば、年を重ねるとともに教え方は違ってきた。もちろん学校によっても違う。自分ではうまくいっている、と思っていたのにちょっと怒ったらいなくなってしまった、という経験もある。周囲との考え方の違いから監督ができなくなってしまったこともある。そんなとき、「好きな事のためにする努力は好きな事ができない苦しみより、はるかにちっぽけだ」ということを知った。以来、状況によって自分が変わらなければいけない、ということを痛感し、腐らないで機が熟すまで待つことを学んだ。
 高校野球の良さは、自分が好きなことと取り組み、生き生きしている子どもたちと一緒に夢を追えること。心から接すれば、いつかわかってくれて、心で返してくれる。だから、生徒たちが成長し、結婚式に呼ばれるのが一番うれしい。3年間一緒に練習し、まるで自分の子どものように他人の子どもを怒ったというのに、それでも式に呼んでくれる。そんな時、「自分がやってきたことは間違ってはいなかった」と実感する。ただ、最近の子どもたちは怒られることに慣れていないので、一人ひとりの個性を見極めて、進化できるようにすることが多くなった。

■ 夢実現の方策

 甲子園に出場するためには(1)投手を中心とした守備力の強化と選手の気迫の充実(2)短打主義の徹底した打法のマスターと長打力のある打者を持つこと(3)機動力(4)精神力。さらに、それをサポートするものとして、学校や外部の人の理解、設備環境の充実、監督の能力などが必要になる。そして、甲子園に出場したら3年に1回は出るようにする。そうすれば、必ず甲子園を経験している選手が残る。すると、手抜きができない。夢を実現するためには選手が「やらされている」という意識があるうちはだめだと思う。
 教員生活もあと5年。自分の意識の中で情熱が衰えている気がしないでもないので、「あと4回甲子園に行く」と明言し、気力を奮い立たせている。事実、双葉時代には「3回目の甲子園出場をするのはお前らだ」と言い続けて、甲子園出場を果 たした。勿来工にはやり残した仕事があるので、なんとかそれを実現するつもりでいる。



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