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プロフィール
せき・みつひろ 1948年富山県生まれ。一橋大学大学院商学部研究科教授。著書は『地域経済と中小企業』『新「ものづくり」企業が日本を変える』など多数。


 関満博さんの「新『モノづくり』といわきの未来」と題した講演会(いわき未来づくりセンターなど主催)が6月27日、いわき平安閣で開かれた。関さんは企業誘致で成功した町や市、そこで頑張っている人を紹介しながら、産業振興においてのいわきの現状と今後にふれた。

■一人の力―斐川町の場合

 島根県に斐川町という田舎町がある。1970年には人口2万2000人、現在は2万7000人で、この30年で5000人増えている。これは町役場の企業振興室長を25年務めている福間さんの力量で、企業誘致によるもの。セラミックコンデンサの村田製作所、ノートパソコンの富士通、島津製作所など合わせて25社の企業を誘致した。一部上場企業を自力で3社も誘致できた町村は、日本で斐川町だけ。
 これら25社の誘致で6000人の雇用を確保し、それが人口増につながった。生産出荷額は3700億円で、島根県の59市町村でダントツの1位。見渡す限りの田園地帯で、工業団地は小高い所に点在させている。あぜ道は全部舗装され、田んぼは1枚ずつ水道がついている、とても豊かな町。それはすべて福間さんの努力で、福間さんの魅力で企業はみんな町にやって来た。

■地元の熱意―北上市の場合

 日本の都道府県の中で今、一番活力があるのは岩手県。この20年の頑張りで、経済的指標は東北で3番、北東北で1番になった。中でも北上市は戦後50年で日本で一番成功したまち。合併して北上市となった時(昭和29年)、工業化を目標に置いたが、工場は製紙工場が1つだけで、誘致のために工業団地を造ることになった。
 一般に、工業団地はその町でいらない土地に造るが、北上の場合、とてもいい場所に造った。昭和52年の東北自動車道、57年の新幹線の開通が見え始めた40年代後半ごろから誘致が進み始め、現在までに全国最大数の165社を誘致した。大成功の理由は地元の熱意、思いの結集。役所の商工担当者は朝、新聞で生産量を増加させる企業の記事を探し、見つけたら新幹線に乗ってその日のうちに企業を訪ね、翌日からは朝8時半前に企業に通う。それを繰り返すと、10回に1回は新工場の計画があることがわかり、その後、市長がトップセールスに入る。
 90年代、工作機械メーカーのミヤノの誘致の話が出てきた。その時、ミヤノから言われたのは北上川流域でいいから下請けになりうる企業を100社紹介してほしいということ。しかしミヤノのレベルに合う企業は一桁もなく、技術が地域化していないことを痛感した。その後、ベーシックな技術を次々集め、まだ十分ではないが、北東北の随一の工業集積を造ることに成功した。北上では今も工場の立地が増えている。

■いわきの現状、今後

 いわきは今、産業振興の入り口に立ったところ。20年遅れている。それだけ豊かだったのかもしれない。水産と石炭という採取産業が主だったから、どちらかというと努力をしないでできてきた。
 ここに来てやらざるを得なくなり、やらなければ沈没する。問題はみなさんの思い。地域振興にはよそ者、若者、ばか者が必要で、一番大事なのは命がけで一気に踏み込む人。そういう人がいない限り何も始まらない。
 これからの日本は人材しかない。人材以外の資源はなく、資源としての人材を供給できるかどうか、それに気づいてやれるかどうかにかかっている。


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