「きりひと賛歌」という手塚マンガがある。人間が犬の姿に変わってしまう奇病“モンモウ病”をめぐる物語だ。風土病と思われていたその奇病は、実は村の鉱山のわき水に含まれる物質によるものだった。環境問題を考える時、その物語がいつも頭に浮かぶ。
目には見えず、においもしない、変な味や耳障りな音がするわけでもなく、それとは気づかないうちに具合が悪くなっている。過去をさかのぼっても、環境汚染による被害は不意打ちで、原因が究明されるまでにかなりの労力と時間を要する。
最近では茨城県・神栖町の有機ヒ素汚染の問題がそうだ。井戸水から環境基準の450倍もの高濃度のヒ素が検出された。住民は4年ぐらい前から自覚症状があり、小さな子どもに重い症状が出ていた。原因は旧日本軍との関連が強いと言われているが、終戦からすでに60年近い。
環境の法整備がされ始めたのは昭和40年代半ばごろから。それも問題が起きて、後追いする形で対応されてきた。廃棄物の海洋投棄や自社敷地内での処理など、現在では考えられないことが、日常的に当たり前のように行われてきたという。
それでも、どこに何が埋まっていて、何がビニールシートにくるんで置いてあって、という状況を知る人がいるうちはまだいい。しかし、そういう都合の悪いことは得てして、次に伝えられることなく人々の記憶から消えていってしまう。
「少し前まであった四倉の野積みドラム缶など目に見えたり、また住民の運動が起こっているものはいい。本当に怖いのは、目にふれることなく、知られることなく存在しているもの」と、環境に詳しい人は語る。
まず、どこに何が存在するのか実態を把握し、記録にきちっと残し、必要であれば定期的に環境調査もしていくことが大切だ。環境問題に時効はなく、いつ目覚めるかわからない時限爆弾でもある。
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