画・松本 令子
紙面第254号(2013年9月30日号)の「ストリートオルガン」には、9月21日にアリオスで開かれた吉永小百合さんの朗読会について、大越記者が書かれています。 このほど丸9年の3.11を迎えましたが、9年前の7月ごろ、私たちの仲人でもある佐藤先生から「今度、詩集を自費出版したから送るので読んでね」と、かわいいかん高い声で、避難先の柏崎から電話をくれました。 届いた25編の詩集『原発難民』を読んで、そのとおりだと思いました。転々と9カ所を避難している心境の怒り、悲しみ、悔しさ…が詩にあふれていました。 そんな時、偶然にもテレビで吉永さんが広島、長崎の悲劇を伝え続けようと、原爆詩の朗読をライフワークにしていることを知りました。町民、郡民、県民の心情を代弁しており、避難生活を送る83歳の女性の詩集をぜひご一読してもらいたいと、私の独断で思い切って詩集と手紙を送りました(ラジオ番組「今晩は吉永小百合です」宛)。 翌2012年4月13日に、NPOうつくしまブランチ主催による「吉永小百合 原爆詩朗読会」が福島市公会堂で開催された時、吉永さんの希望で詩集『原発難民』の中から数編、朗読されました。もちろん紫華子さんも招待席で聞いており、大変感激されていました。 その後、四倉町に紫華子さんが避難され、双葉郡民23000人も大変お世話になっているいわき市で、ぜひ朗読会をお願いしたいとの紫華子さんの手紙をきっかけに、吉永さん自身、被災地での開催の願いもあることから、いわき市で「祈るように語り続けたい 吉永小百合朗読会 ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマ」の開催が実現されたのではないかと思います。 当時をふり返り現在も思うことは、吉永小百合朗読会には平和への願いを子どもたちに伝えていきたい、という強い意志が込められているということです。最後にいわきの子どもたち、吉永さんと全員で「にじ」と「折り鶴」を歌った時は、平一小、一中の合唱部のみなさんの明るい元気な歌声が会場いっぱいに響き渡り、音響・照明さん、スタッフのみなさん、私も涙、涙でした。 また当日の受付、会場係などを市内の友人はじめ、避難中の友人などの協力で大変助けられました。改めて感謝申し上げます。 私たちが3.11から「問われているものは何か」「問いかけているものは何か」、そして「子どもを守り育てるにはどうしたらいいのか」。未来の子どもたちが「温もり」を手に入れることができるように、原発の是非を超えて「新しい社会」をみなさんとともに創りあげていければと願っています。
3月11日午後2時46分、サイレンが鳴り響きました。10回目の3.11であり、亡くなった人たちの命日です。わが家は海が近いので、周辺が大きな津波被害を受けました。家に残っていて津波に流された老夫婦もいます。その家はいまだに空き地のままで、前を通 るたびにありし日の姿が浮かんできます。ありとあらゆるところに、思い出が転がっています。被災地で暮らす者にとっては毎日が3.11です。
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