画・松本 令子
春が訪れると思い浮かぶ短歌がある。 桜ばな いのちいっぱいに 咲くからに 生命をかけて わが眺めたり 岡本かの子の歌だが、桜花の向こうにある内面世界に触れ、彼女の生命の強さ、激しさを感じながら、生命をかけて対峙したこととは何だったのだろう、と思いをはせる。 同じように、日々の新聞の紙面からも権力になびかない立ち向かう姿勢がみられ、そこには内包された力強さと覚悟があるように思う。 第357号の「堆積した薄皮を剥がしてみないと、本当のことには届かない」や第398号、「いわきの山に最大170の風車が建てられる」などに、それを見ることができる。 合わせて、厳しさばかりではなく、柔軟に相手に寄り添うような視点を持っているのが魅力でもある。 第358号の月刊クロニクルで、「原稿が時間に耐えて普遍的なものとして残っていくために必要なことは、真実をきちんと映し出しているか、書き手がきちんと対象と向き合い、優しい眼差しがあるか、なのだと思う」と書いている。 最近、Eテレで、「心の傷を癒すということ」の著者で精神科医の故・安克昌氏のことが取り上げられていた。 同僚医師によると、彼は在日ということで挫折と苦難の中にあっても、周辺に生きる人、目立たなく名もない人の存在を気にかけ、人を貶めていないか、踏みつけていないだろうかと点検しながら生きていた、という。 人の心を傷つけず、いたわり合う生き方に感動を覚えながら、私の眼と心はやはり日々の新聞に向かう。どこかで通 ずるような気がするからである。 メーンでなくても、その周囲や別の紙面を埋めている記事は、短いものでも存在感がある。「モノクローム」や「風の通 る家」、そして、「編集室から」に至るまで、丁寧に書かれていて、決して手抜きをしていないことがわかる。 情報があふれる現代社会、不要のものも多い中で、自分が欲しいと思う情報が得られる日々の新聞を毎号、楽しみにしている。
原発事故のときの福島第一原発内はどうだったのか―。それを描いた映画「Fukushima50」のいわきでの入りがいいそうです。地元なので当然なのでしょうが、観ながらさまざまな思いが去来するらしく、みんな無言で映画館をあとにするといいます。ドキュメンタリーではないので仕方ないのでしょうが、食い足りなさを感じました。感動が瞬間的で残らないのです。それだけ事実が重く、真実が深くて広いということかもしれません。次に期待です。
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