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2002年8月10日昼過ぎ、神奈川県のグリーンホール相模大野の大ホールに開幕の1ベルが響いた。高校演劇の全国大会2日目の3番目の上演。その音を聞いて、児玉
洋治先生は最上階の席に急いで腰掛けた。1790席ある客席は満杯だった。続いて2ベル。幕が上がり、「チェンジ・ザ・ワールド」の不良の正ちゃんと先生のシーンが始まった。
最上階ひとつ手前の席には、東北大会で正ちゃんを演じた吉田真太郎たちが緊張した面
持ちで座っていた。「結果を出せなかったら覚悟して」と、後輩に全国大会の切符を渡し、春に小名浜高校を卒業した演劇部OB、OGたちだ。高校演劇のコンクールは秋に地区の大会が始まり、都道府県大会を経て、12月のブロック大会で全国大会の出場校が決まる。全国大会は翌年の夏に開かれるため、3年生は自ら獲得した全国大会の切符でありながら、後輩に託すしかない。
2年前、真太郎たちが2年生の時の東北大会を、児玉先生は2年生主体の芝居で挑んだ。退職まであと1年という自分の年齢と役者の顔ぶれを考えると、是が非でもそのメンバーで全国大会に行きたかったし、自信もあった。しかし結果
は2位。いじめられる少年が自殺してしまうストーリーに、審査員の間で賛否があった。「もう演劇部の顧問を辞めよう」。そう思った児玉
先生は、帰りの電車の中で主役を演じた真太郎に聞いた。「おまえ、演劇部を続けるのか?」。真太郎は迷わず「続ける」と答えた。1年後の東北大会で真太郎はやはり主役を演じ、全国大会の切符を得た。でもそれは、自分が立てない夢の舞台の切符だった。
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「チェンジ・ザ・ワールド」のキャストは8人、うち5人が卒業した3年生だった。新キャストに選ばれた部員の中で、東北大会でも同じ役を演じたのは不良のボス役の酒井満だけ。全国大会まで約5カ月。「東北大会時点の芝居に追いつくのは無理だが、あの芝居をコピーして何とか恥ずかしくない上演をしよう」。児玉
先生も部員たちも思った。まず6月のいわき地区高校演劇発表会を最初の舞台と考え、練習を始めた。
「正直な話、まだまだ。芝居じゃなくて劇をやっている」。地区発表会で後輩の芝居を見た真太郎はそう思った。真似ることに精一杯の緊張した芝居。客席の反応もいま一つで、バロメーターの“笑い”があまり聞かれなかった。しかし7月初めの岩手県での招待公演は、発表よりずっと手応えがあった。部員たちは徐々に役の気持ちと、その表現方法を考え始めた。それは役と向き合い、真似を脱して役になりきることだった。夏休み、がらっと開けた窓から時折気まぐれに海風が入る練習場の生物室で、児玉
先生はみんなに呪文をかけるように「気持ち」という言葉を繰り返した。
全国大会まで10日と迫った7月末、児玉先生は練習前に大会の日程を説明した。数日前には大会前の最後の公演を小名浜市民会館でした。説明を終えた児玉
先生はいつにない強い口調で「冷静に見て、全国では通用しない。あのままではダメ。東京公演はなしだ」と公演の感想を述べ、部員たちに気合いを入れた。“東京公演”とは全国大会でベスト4以内に入賞することを意味する。入賞すると、あこがれの国立劇場の大ホールでの上演が待っている。児玉
先生も部員たちもベスト4に入ることを目指していた。
先輩たちの芝居のイメージをどんどん壊し、自分たちのオリジナルをつくりつつあった。最大の課題はほどよい緊張感。それがないためにテンポは悪く、舞台に締まりがなかった。すべては児玉先生が連発していた「気持ち」とつながる。部員たちは表現しきれていないことを自覚し、だから迷い、悩んだ。小名浜市民会館を借り切っての練習は一喜一憂の連続の日々だった。「いつもそう思うのだけど、あと1週間あればなぁ」。全国大会への出発を目前に、児玉先生は言って笑った。芝居は最終の仕上げに達せないままだった。
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グリーンホール相模大野での小名浜高校演劇部の芝居に、観客は舞台に釘になり、大笑いして、泣いた。正真正銘の本番で、ふっ切れた演技ができた。宿泊先のホテルや稽古場の地元高校での3日間の練習は20人の部員に何かをつかませ、積み上げてきたものが発酵し、1つにさせた。最上階席の児玉先生も楽しんで芝居を見た。見ながら部員たちの力のすごさを感じた。部員たちは先輩のバトンを受け取っただけでなく、自分たちなりに昇華させて後を継いだ。「自分たちとは違う芝居。よかった」。大きな大きな拍手で幕が下りた後、真太郎は言った。
翌日の夕方、審査の結果が発表された。審査員の講評を聞いていて、児玉先生はほぼ最優秀賞だと確信した。客席に座った部員たちは隣同士で手をつないで、その瞬間を待った。「最優秀賞 福島県立小名浜高校『チェンジ・ザ・ワールド』」。だんトツの最優秀賞だった。部員たちは涙でぐしゃぐしゃになった。「やってよかった」。本当に俺が正ちゃん役をやっていいのだろうかと、ずっと葛藤があった笹川俊は思った。自分の演技を認めてもらえた気がした。
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2002年10月、高校演劇のいわき地区大会が開かれた。小名浜高校は児玉先生が小名浜で演劇部の主顧問をしていて唯一、地区大会止まりに終わった石原哲也(児玉先生のペンネーム)のオリジナル脚本「ちゃぶ台の詩」を上演した。芝居は主役をはじめ1年生を主体にし、3年生は脇役で味を出した。全国大会をくぎりに顧問を退いた児玉先生は、市文化センターの一番後ろの席でそれを見た。ホールを出る児玉先生の目は潤んでいた。
その芝居は全国には届かなかったものの、東北大会まで進んだ。小名浜高校の演劇の精神がまた、先輩から後輩につながれた。「観客の立場から芝居をつくる」。その精神は児玉先生のポリシーでもある。
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