小さな子どものころから色に興味があるようだった。「絵を教えてみよう」。お母さんはそう思った。自閉症で落ち着きなく動き回る娘の成長を待って、小学3年生の時に絵画教室に連れて行った。それから10年、女の子は教室に通
いながら絵を描き続けた。やさしくて明るくて、元気が出る絵。それは母と娘が2人3脚で頑張ってきた証でもある。
女の子は小名浜西君ケ塚町の鈴木葉子さん。2、3歳のころ、毎日、カラーブロックの色を規則正しく交互に敷居に並べて遊んでいた。お母さんの律子さんは、色に興味があるのかもしれないと思った。その後、自閉症と診断され、毎日をどう過ごしたらいいか思案に暮れた。
落ち着きなく動き回り、幼稚園では興味のあった洗剤を教室に撒き散らしたこともある。「何とか落ち着かせたい」。律子さんは考えた。小学校に入学してから、指の運動も兼ねてトレーシングペーパーを使った写
し絵を教えると夢中になった。生活マナーが少しずつ身についてきた小学3年生の時、小名浜の石井実さんの絵画教室に通い始めた。
修学旅行や調理実習、音楽祭など楽しかったことを「描いてみる?」と、律子さんが葉子さんの目の前に題材を与える。葉子さんは律子さんと話をしながら、自由に好きに描く。1度描くと自信が出てきて何度も同じ素材で、しかし構図や表情、画材も違えて描く。描くことが生活の一部になっていった。
ほかの人の絵には関心はない。ところが、箱根の彫刻の森美術館で見たヘンリー・ムーアの彫刻「家族」とピカソ館の「青に帽子の女」などに興味を持ち、葉子さん流に描いた。いろんな所へ行って、いろいろな物を見て、たくさんの人たちと接し、ものを見る目が徐々にできてきた。養護学校の高等部に通
った3年間は毎年、市美展にも出品した。
難しい思春期の山を越え、絵画教室に通って10年経ったころ、「夜は家にいたい」と葉子さんが初めて自分の意思を言った。葉子さんが自分の手で描きたいように描いてきた絵だが、題材を提供したり、「この人は眼鏡をかけているね」などと話をしたり、いつしか律子さんも葉子さんに描かせているのではないか、これで本当にいいのだろうか、と自問していた。
たぶん、葉子さんが口に出すまで1年ぐらいかかっているだろう。10年通った絵画教室はやめて、葉子さんの好きなようにさせた。いま葉子さんは25歳。泉町の授産施設に通い、帰ってくると好きな絵本を見ながら、消しゴムを使わず一気に線を描き、色を塗る。季節に合わせて、同じ絵を描いている。その時間を律子さんは次へのステップの作業と理解し、邪魔しないようにしている。
25歳の節目に律子さんは、葉子さんの個展を企画した。絵画教室に通った10年間に描きためた絵を展示。同時に画集と絵はがきも作った。個展が刺激になって、また以前のように自分の絵を描くようになって、今度は楽しみの絵だけじゃなくて「描いて」と頼まれて描けるようにもなればいい、と律子さんは思っている。
娘が自分の絵を描きたくなるまで、母は温かく見守っていく。
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