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Katsuhiko hibino in Iwaki 2001
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 「気持ちを表すことが自然にできる」という行為を考えてみる。悲しい時はしんみりとして、嬉しい時は喜び、不満な時は怒る。しかしなかなかそうはできない。悲しいけど我慢する。嬉しいけど、場をわきまえる。不満だけれども周りに合わせる。そんなことが日常の中では多々起こっている。それが日常であり、我慢するのが当たり前という考え方があるとする。それは、他者を思いやる、協調性を重視する、相手の立場に立ってみる、客観性を持つ、それが大人の振る舞いであるという美徳という思考、もしくは人はそれぞれだからいちいち個人的感情を表に出しても仕方がない・・・という判断。
 次世代の社会の姿として目指している「多様性のある社会」は、社会的弱者に対して行き届かない部分に眼差しを向けるところから始まっている。弱者に境はなく、基準もなく、すべての人がなんやかんやの弱者とも言える。しかし俯瞰的にすべての人が持ち得ている弱者世界を見てみると、目につきやすい弱者とわかりづらい弱者があるから、どうしても、メジャーな弱者から注目されていく。すると「どうして私のこともわかってくれないかな」という気持ちを持つものが増えてくる。すべての人が弱者の当事者である・・・。
 そんなときに現代の発信ツールとしてのSNSが、その気持ちを伝える道具として使われる。小さな声も多くの人に届けることができる。その環境のなかでは気持ちを自然に表すことが自然にできるという空気圧になり、自分の気持ちを躊躇なく吐露する。
 人間は体と意識でできているとした場合、物理的な体はネット環境には存在できない。意識は電気信号だとしたらネット環境のなかに擬似的に侵入できるような気がする。体が今の形になるまでかなりの時間を要してきたのだけれど、今、意識は体を置き去りにして、体を離れて他者と交流しようとしている。そんな意識からみると、今の体は良好な環境ではないのかもしれない。
 さてさて、今回は何をここで言いたいのか、「体を離れつつある意識を体感する意識」ということなのかな・・・。

(アーティスト)
 

 
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