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ワールドカップが終わりました。まさかジタンのレッドカードで幕がひかれるとは…。90分の、いや決勝は120分のドラマが待っていました。それにしてもワールドカップというものは、スポーツ競技というにはあまりにも人間くさい、そして民族くさい、大陸くさい、地球くさい身体表現であることがよーーく理解できました。
期間中、日本サポーターとして、同じ身体表現者として、ドイツを訪れたのですが、そこで見たり、聞いたり、感じたりしたものは、やはりピッチ上で行われるスポーツ競技としてのサッカーだけではなく、サッカーが生まれた元にある人と人の接触する時間空間が、ドイツの国に充満していました。この空気感こそがワールドカップであり、世界中の人間を暑くするエネルギーなのです。
このワールドカップを突き動かしているエネルギーを日本のお茶の間にテレビという媒体で伝えるのは相当困難なことであり、これだけ映像伝達がコミュニケーションの主流になっていたとしても、その技術の偏重した進化ゆえに伝わりきらないところが、ワールドカップにはあるのです。
実際に感じるドイツでのワールドカップ(リアル)とテレビで見るワールドカップ(バーチャル)は感覚的臨場感と視覚的刺激偏重感というところで、ワールドカップの一部しか伝えきれていないことは否めません。リアルとバーチャルは互いが共存関係にある意味的な立場であり、互いの特性は比較することにより成立しているものです。
この二者の長所を生かした表現媒体がフランクフルトにありました。それは川の中に建てられた巨大ビジョン。幅20m(推測?)はあろうかというビルディングのようなテレビとでも言いましょうか。両面が画面になっていて両岸から見ることが出来るのです。
自然空間が持つ爽快!と画像視覚が持つ刺激!が融合して、今までに感じたことのない表現媒体になっていました。こんなことが出来るのもワールドカップならではであり、サッカーならでは!
日本代表が強くなるには、これくらいのことが出来る文化が必要です(2002年は試合会場の中だけがワールドカップであり、街にはそれを楽しむ余裕がなかった。試合運営するだけで一杯だった)。技術ではなくみんなで楽しむ、コミュニケーションする、という感情がサッカー表現を美しいものにしていくのです。90分の試合だけがサッカーではありません。関わるすべての事柄がサッカーという表現なのです。
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